戦後から未来への時の流れと「憲法9条」
・・・「『憲法九条の会つくば』4周年記念のつどい」に参加して

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「『憲法九条の会つくば』4周年記念のつどい」が、2009年11月1日、遊歩道に落ち葉が積もりはじめた11月1日の日曜日の午後、カピオホールで開かれました。「つどい」は、大きくふたつの部からなっていて、ひとつが小森陽一(東京大学教授)先生の講演「憲法9条の実践力・・・過去・現在・未来」、あとのひとつが神田香織さんの講談「『はだしのゲン』原爆投下のその日まで」でした。

小森さんの話を、印象に残ったこととしてまとめると、第一に、憲法九条の問題を戦後の流れの中で考えることが大切であるとして、北朝鮮をめぐる政治動向を中心に展開されました。第二に、世界は九条を実現する方向に動いていることを示されました。第三には、それらの平和への流れは、九条の会をはじめとする草の根の運動が促進しており、それらをさらに強くすることが決定的であると締めくくられました。

神田さんの講談は、なぜ神田さんが講談をすることとなり、「はだしのゲン」を取り上げるようになったか、からはじまりました。後者は、戦争の姿の聴きとりの中でサイパンのバンザイ・クリフをみて戦争の庶民への影響を考えるようになり、その眼に中沢さんの「はだしのゲン」が強いインパクトを与えたから、なのだそうです。講談は、ゲンの家族の日常から始まり、8月6日のありさまを中心に、そこで何が起こったかをリアルに伝えてくれました。そのなかでも、ゲンの前向きなあかるい決意のようなものが胸に残りました。

以下では、小森先生の話について、すこし詳しく書くことにしますが、先生の話を要約するのではなく、上記、第一の点について、お話をうかがったことにより、私がどんなことを考えたか、そのことを中心に記してみようと思います。

戦後日本の保守本流の主な流れは、解釈改憲のもとでわが国を何とか戦争に参加できる国にしようとするものでした。戦争というものは、そんなに儲かるものなのか、と思わせます。

戦争を仮定しない軍隊というものは、現実的にはありえず、戦後、一度も戦火を交えていないわが国の自衛隊といえども、仮想敵国を根拠に装備を調え軍隊を訓練するわけです。

戦後わが国は、米国の傘のもとで社会主義諸国、とりわけソ連を最大の敵と仮想して自衛隊増強を進めてきました。アメリカにとっては、ソ連はユーラシア大陸の東から西まで広がっていますので、それ一国で敵として仮想するに十分な価値を有します。米ソ両国は核兵器で脅しあいつつそれを増やし続け地球を何百回も全滅させ得るほど危険なところまでエスカレートしてきました。ところが、1991年にソ連が崩壊し、西欧の社会主義国がなくなってしまうと、形相は一変します。アメリカにとっては仮想すべき相手がなくなってしまいました。その傘の下に入っていた日本にとっても同様でした。

その後、アメリカは、後に「悪の枢軸」と称するようになるイラン、イラク、北朝鮮というユーラシア大陸の東西辺に存在する国々を仮想(イラクは実際の)敵国として軍事戦略を展開するようになります。中東は石油の大生産地ですので、何としても自分の支配下に置きたいという大国的覇権主義を振りまいているわけです。

アメリカは、ユーラシアの東の端に位置する中国とは一定の距離を置きつつ、ブッシュ政権の場合には北朝鮮をならず者国家のひとつとして敵視してきました。クリントン政権は、1994年のいわゆる第一次北朝鮮核開発疑惑をめぐり、北朝鮮への武力攻撃を検討し、その際のわが国の対応につき細川首相に打診しています。この打診は、細川内閣の影の辞任理由(表の理由は、佐川急便との係わりとされています)となり、後の有事法制につながったとされます。

そのすぐ後(6月)、カーター元大統領が訪朝し金日成首相と会談し南北首脳会談の同意を取り付けます。ソ連崩壊により北朝鮮はソ連からの石油供給を停止されてエネルギーに窮していましたが、その北朝鮮に対し石油の供給をちらつかせて同意を取り付けたといわれています。これは、直後の金日成の死去によりうやむやになりましたが、硬軟両面の対朝戦術はアメリカ外交の常道です。2003年に始まったいわゆる六ヵ国協議は、北朝鮮による核開発を中止させることを当面の目標としつつも最終的には南北休戦協定を終わらせ講和条約を結ぶことにあるといわれています。

この間、細川内閣の成立時にさかのぼると、リクルート、佐川急便などの金権腐敗事件をめぐり、 自民党の分裂があるのですが、そのキーマンとして小沢一郎が重要な働きをしました。そして細川内閣の誕生には彼の力が大きく与っていたのは周知のことです。そのときの小沢一郎を中心とする人のつながりは現鳩山政権にも強い影を投げかけています。村山内閣の成立に際しては、社会党の自衛隊合憲、安保容認への方針転換がありました。そしてこれらの時期以降も、歴代政府の自衛隊の存在理由としての主な仮想敵国は北朝鮮でありつづけました。

2001年9月11日以降、アメリカ政権にとってイラクはそれまで以上に特別な存在理由をもつようになりますが、それはわが国政権にとっても同様でした。すなわち、朝鮮戦争を機に作られた警察予備隊から始まって、保安隊、自衛隊と名前を変えつつ「軍隊」を増強し続けてきて、小泉政権では、自衛艦のインド洋派遣を実施するに至ったのです。この前後から、9条、特に第2項を中心とする改憲の動きが激しくなってきたわけです。

以上見てきたとおり、歴代日本政府は、憲法9条の解釈を拡大し続けてきました。その流れの中で、北朝鮮は一貫して重要な役割を負わされ続けてきたのです。いわゆる北朝鮮問題は、改憲の流れの中でおおきなウェイトを持っているのです。

そんななかで、本来あるべき社会の姿を考えると、それはいうまでもなく核兵器も戦争もない平和な社会ですが、21世紀のいつか、それに向かってどこかの地域から大きく動き、世界全体へと広まると良いと思います。その長い流れを思うと、憲法9条を守り定着させる草の根の運動が大きくなることがとても大切なように思えてきます。北朝鮮の現国体もいずれ破綻を来すはずです。それが、南北講和もアメリカの世界戦略の中ではなく、平和への流れの中で実現することも、上のようなことを思えば、日本が憲法9条を守り実体化することと深く関係するのではないかと考えられるのです。

今、9条の会は全国6000以上の地域に広がりさらに広がりつつあるとのこと。その力が、日本の政治を動かしつつあるとのことです。個々を見ると小さく見える動きも、運動として積み上がると大きな力になるのです。世界と日本の歴史の流れ、その過去から未来への流れのなかで9条を守る運動がますます大切になっていると感じました。

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