パリ・コミューン : 一女性革命家の手記 上  

ルイーズ・ミッシェル 著 天羽均, 西川長夫 訳  人文書院 (1971)

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詩人の目で振りかえるパリ・コミューン  2013/6/3                                    

パリ・コミューンの詩人=ルイーズ・ミシェルの手記です。1898年、そのコミューンから4半世紀を経て後の出版でした。本文の書き出しは、パリ・コミューンに先立つこと20年、ルイ・ポナパルトによるクーデターに遡ります。それは、なぜパリ・コミューンが起こったのかを理解させてくれるのですが、この手記は、私の期待と違って、ルイーズの詩や散文は意外に少なく、記録や他人の書きものの引用、紹介が結構多いのです。しかし、やはり詩人の作だと思わせるのは、視点が庶民としてのルイーズそのものなので、気持ちがこもっているのです。パリ・コミューンが、コミューンとヴェルサイユ派との戦いだとすれば、コミューンがいかに庶民のものであったかを映し出しているのです。

それは、しかし同時に、ことの成り行きが理解しにくいと感じさせるところともなっています。つまり、解説がなくいきなり誰それの行動などが描かれるからです。私たちは、パリ・コミューンのことをそれほど知っているわけではありません。人名や地名にも馴染みが薄いです。ですから、もし、大佛次郎の「パリ燃ゆ」などを読んで概略を知っていてこの本を読むならば、結構具体的なイメージを持って読むことが可能です。そして、彼女の気持ちも、したがってコミューン最後の1週間をたたかった庶民戦士の心持ちをもより生き生きと知ることが出来ることになります。

彼女は、教師でインテリです。当時、革命運動に影響力を持っていたブランキ(ルイ・オーギュスト)と同様に、インテリとしてコミューンを引っ張る役割を果たすのですが、本質的には、無政府主義者、アナーキストに分類される思想を強く持っており、黒旗を掲げてデモ行進をしました。マルクスらの「インターナショナル」とも共同してたたかったようですが、その影響力はまだ彼女を引き付けるところには至らなかったようです。

しかし彼女は、何よりも詩人でした。詩をもってもたたかったのです。ですから、彼女の目には、コミューンの文化政策とその実行がしっかりと映っていました。それをみると、コミューンが文化や学問をいかに大事にしていたかがわかります。

ルイーズの詩を、ほんの片々だけですが詠んでみます。以下。ふたつの詩の断片は、HP「大島博光の詩と訳詩を読む」の「パリ・コミューンの詩人たち」から引用させていただきました。なお、そのサイトでは、「ルイズ・ミシェル」と題したアシル・ル・ロワの詩を読むことも出来ます。

さて、彼女の詩です:

兄弟たちよきのうわたしは見た
あなたたち勝利した人民の子らが
父祖たちのように誇らかに勇ましく
マルセイエズを歌って前進したのを

あの凄すさまじい戦闘でわたしは愛した
あなたたちの死をも怖れぬ勇気を
雷のようにとどろく赤い砲弾を
風にはためきひるがえる赤旗を

  (「わが兄弟たちに 一八七一年九月八日 ヴェルサイユ牢獄にて」より)

また、

おお わが愛するものよ! 共和国よ!
おまえのために みんなが血を流した
愛国の歌を うたいながら
みんな 嬉々として 倒れて行った

そうだ われらはまたくるぞ 兄弟たち
死のうが生きていようがまたくるぞ
いたるところに赤旗をなびかせて
暴君どもをやっつけよう!

  (「革命は敗れた ヴェルサイユの牢獄で 一八七一年」より)


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