暗黙知について  
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暗黙知(Tacit knowing)という概念は、Michel Polanyi(1966) が打ちだしたものである。Polanyi は、ハンガリー生れの科学者で、最初は医師としてスタートし、ついで物理化学者としてエックス線回折と結晶の研究、吸着のポテンシャル理論や化学反応速度論などの研究で有名となった。(息子のジョンは1986年、ノーベル化学賞を受賞している)。その後、経済学、社会学、哲学の分野で業績を上げた。暗黙知は、哲学的業績の最後を飾るものである。(大塚他、1987)

彼によると、知識には、言葉で表すことのできる知識とできない知識とがある。後者を暗黙知と呼ぶ。知識は階層構造をなすが、暗黙知はある階層の知識からその構成部分としての知識の総和を減じた時の差に相当する。換言すれば、ある階層とひとつ下の階層との差が暗黙知ということになる。言葉で表すことのできる知識や総和として加えあわされた個々の知識は、形式知と呼ばれることもある。

たとえば、オーケストラがある曲を演奏する場合、当然のこと楽譜に則って演奏するのであるが、同じ楽譜を使っても、私たちはオーケストラごとに異なる演奏を聴くことになる。つまり、演奏と楽譜との差は暗黙知である。

また、陶芸では「一焼き、二土、三細工」と言われるそうだが、それら3要素のそれぞれをマスターしても「師匠には適わない」と弟子が言ったとき、師匠と弟子の差として暗黙知が横たわっている。3要素のひとつひとつにも暗黙知が含まれることは言うまでもないであろう。

世間では、そのような暗黙知が存在しているという意識はかなり広範にあるように見えるが、暗黙知が評価されることは少ない。特に、科学の世界で暗黙知が論文にならないということ故に、暗黙知は科学ではない、とされてしまうことがある。

その反面、科学の世界では、現実に御利益(ごりやく)に浴していて、しばしば暗黙知が新しい発見の源泉となる。暗黙知を豊富に持っている研究者は、新発見をする可能性が高いことになる。そこでは、暗黙知を日常の中で習得する能力とその可能性を現実化する能力とが研究者の能力ということになる。

近代以降の産業において、分業化による大量生産、特にいわゆるベルトコンベアー式の産業形態においては、それまでの暗黙知が形式知として明確になっている必要がある。利潤をより多く上げるためには、暗黙知より形式知が有利である。

これらの御利益については、晝馬輝夫(2003)社長が強調しているところは有名である。小柴博士のノーベル賞を支えた高い技術には暗黙知の力が与っていると言って過言でないかも知れない。

暗黙知であっても、知識であるから表現することが可能である。しかし、それは概括的であったりたとえ話であったり、その本質的実態を明示できないことが普通である。近代科学にあっては、本質的実態を明示することが要求される。故に、暗黙知を論文としたとしても自然科学論文として受理されにくく、したがってその業績の評価が一般に低くならざるを得ない。

論文のアブストラクトは、論文本体を暗黙知化している部分が多い。しかし、アブストラクトだけを読んでも実験の再現は出来ない。その本質的実態を明示していない。だから、アブストラクトは本文があってこそ、存在意義があることになる。この関係にも暗黙知の性格の一端が現れている。

社会科学や文化の分野では、暗黙知自体もその対象となりえて、本や論文とすることができる。自然科学的分野であっても、暗黙知で特許はとれる。総説は暗黙知的である。

かくして、暗黙知の重要性は大きなものがあって、それを意識的に追求することは、知の進歩にとって大変重要である。今後、そのそのような認識が一般的になってくると期待される。

参考文献

Michael Polanyi(1966)The Tacit Dimension. Routledge & Kegan Paul Ltd., London. (佐藤敬三訳(1980)「暗黙知の次元」紀伊國屋書店/高橋 勇夫訳(2003)「暗黙知の次元」ちくま学芸文庫

大塚明郎他(1987)「創発の暗黙知−−マイケル・ポランニー その哲学と科学」清玄社

晝馬輝夫(2003)「『できない』と言わずにやってみろ!―人類には『知らないこと』『できないこと』がいっぱいある」 イーストプレス


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