アラブの春って何なんだ?

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昨年(2012年)2月のエジプトは、騒然としていました。ムバラク政権が民衆の声、怒りの中で打倒されたのは、日本では建国記念日と詐称されている日のことでした。

アラブの春といわれることもありますが、イスラエル、パレスチナなどをふくめ、中東の変革とは一体何なのか、なぜ、あの地域で連鎖的に変革の波が巻き起こったのか、日本と何か関係があるとすればそれは何なのか、等々、この一年間、頭の中にチラチラとしつづけていました。

ふと見た新聞にあった記事が、そのことを目から鱗のごとくに解き明かしてくれました。覚書の意味も含め要点を自分なりに書きとめておこうと思います。千葉大学教授の栗田禎子(よしこ)さんの解説です。

過去20年ほど、世界を覆っていた雲でいちばん大きいものは、市場原理が異常に強調される新自由主義経済とアメリカ主導の戦争体制でした。後者が、中東がその舞台であることに象徴されるように、中東地域には、その雲がとりわけ厚く覆っていたのでした。

これら地域は、石油資源の宝庫であり、それを主な要因として長く植民地支配の下におかれていましたが、前世紀中葉には各国の独立が続きました。しかし、90年代以降、新たな形で欧米諸国への従属が経済でも軍事でも強くなっていました。そのもとで、これら地域の国々は、自由主義的経済を押し付けられました、たとえば、民営化、補助金削減(特に食料)、雇用の流動化などです。その結果、失業、貧困、格差の拡大などが現れました。いずれも、ラテンアメリカ、アジア、そして日本でもアメリカでさえ見られたところです。アメリカ主導の戦争は、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争とこの地域で続きました。

多くの中東諸国の支配者は、そうした政策を推進し、それに対する民衆の声を押さえつけてきたのでした。それが爆発したのがアラブの春でした。

ですから、一連の中東諸国における改革は、アメリカ主導の新自由主義経済政策の破たんとそれと違う別の道を求める民衆の声の結果でありましょうし、世界のあちらこちらで起こっているそうした動きのひとつでもあると考えられます。

中東の中で、イスラエルとアラブ諸国との対立は、それらとまた異なり複雑な状況がありますが、栗田さんによれば、これは対立にみえるけれども、実は、分業する形で中東の民衆を支配し封じ込めることになってきたというのです。

アラブ諸国の政府は、パレスチナ解放という大義を掲げながらも、他方でしばしばパレスチナ人の運動を妨害してきたというのです。私は、アラブ諸国のそうした動きをほとんど承知してこなかったので、ピンと来ないところがありますが、アラブ諸国の政府が変わるならば、そうした力関係が崩れ、イスラエルを追い詰めることになり、パレスチナ問題の公正な解決に道を開く可能性があると栗田さんは指摘します。

イラン情勢が動いていますが、これは、アメリカが、イランの「核開発疑惑」というカードを切って、この地域での支配権を再構築しようとする動きと考えられます。シリアの緊迫、バーレーンやイエメンの政情不安、エジプト、チュニジアの今後の動きなど、流動的要素もうかがえます。そうしたなかで、イラン問題を端緒とする戦争の危険も排除できません。

しかし、中東にわき上がる民衆のエネルギーを押しとどめることは出来ないでしょう。以上で見た中東の動きは、新自由主義的な流れを押し返し、民衆の力を生かすような経済政策を実現する別の流れを築こうとする点で、世界的な民衆の運動と軌を一にするものです。そこには、相互に連帯する要素や必然もあるはずです。日本において、新自由主義路線はいまだ主な流れです。日本の運動は、世界の中でも変にユニークです。世界に目を開いて行くことも大切になっているように感じました。
                                               (2012/02/08)

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