荒地  (岩波文庫) (2010/8/20)  T.S.エリオット (著), 岩崎 宗治 (訳)

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土を耕す文化を,
 2010/11/16

エリオット「荒地」はよく云われるように難解です。本書は、その「荒地」と、それに先立つ二つの詩集からの数編を集録しています。いずれも難解です。その難解さのかなりの部分は、その作品の前提(引用、隠喩、暗喩、象徴など)となっている文学、宗教、歴史などを我々日本人が常識としていないところに依っていると思われます。そのため、本書でも、詩そのものが100頁ほどであるのに対し、原注、訳注、解説が186頁に及び、それらを知らしめるのに費やされています。それらを参照しながら詩を読んでいけば、かなりイメージは具体的になって理解もしやすくなるのですが、どうやらきりがなさそうです。ですから、繰り返し読むしかなさそうです。

本書の作品は、訳者によれば、「形式的には『ブルーフロックその他の観察』のラフォルグ的な会話文体の自由詩から、『詩集(一九二〇年)』に支配的な、押韻のある弱強五歩調の四行詩を経て、『荒地』の混合文体−定型詩と自由詩とイマジスト風の短い行との混合−へと変わっていった」と同時に「ボストンとラフォルグから、パリとボードレールおよびフィリップを経て、ロンドンとモダニズムへ、と」発展したとのことですが、この端的な解説は、本書の詩を理解するには大変役立ちます。

日本の戦後史は、エリオットから始まった、と言われてきて、それを理解しようと努力してきたはずですが、今ひとつ理解が深まらずにいました。それが、本書の、特に解説に接して一歩前進したように感じます。もちろん、訳詩は、作詞に近いとも云われたりしますし、原詩も含めて各種訳を参照することも必要でしょうが、エリオット理解のためには、これらの詩を、本書程度の量の解説により読んでみることは、丁度良いのかも知れません。そうした意味合いから、本書は、エリオット入門用に丁度良いように思います。

さて、この本で、特に『荒地』を私がどう読んだかといえば、今(2010年)の世相にかなり合った雰囲気をそれは醸していて、潤いの欠けた乾いた土に五月の雨のごとく暖かな慈雨をもたらす何か−土を耕す文化、でしょうか−を求める気持が湧いてきました。第一次大戦後のヨーロッパ、太平洋戦争後の日本は、確かにそうした時代にありました。今、規制緩和、市場競争、自己責任といった現代の戦争は終わったのでしょうか。



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