特命全権大使米欧回覧実記  岩波書店  久米 邦武(著) 田中 彰(編)

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第1巻  (1977/01)
アメリカの旅に携えるとおもしろい, 2004/8/20

アメリカ合衆国に旅行する時、この本(第1巻)を携えるとおもしろいのではないでしょうか。

 遣欧米特命全権大使の1871年の冬至から73年秋までの1年9ヶ月と21日にわたる米欧回覧全行程のうち、この第1巻は、横浜出港からアメリカ滞在を経て大西洋横断までの8ヶ月弱の記録です。そもそも本書は、明治政府として、米欧回覧で岩倉使節が得た知見をひろく国民に知らしめる責を果たそうとして出版されたもの。この使節一行が何を見て、何を国民に知らそうとしたかが手際よく簡潔に(それでいて全体は文庫本5冊)美しい文語文で書かれています。

 この回覧実記は、使節が見聞したこと、興味を引かれたことを、できるだけ客観的に書こうとしつつ(これは、もうリアリズム)、使節の目的に沿った考察もしっかりしています。ですから、読者の興味・関心・立場などによって様々な読み方ができます。たとえば、使節がアメリカの自然、あるいは資源をどのように見てそこから何を考えたか、を読みとることもできます。130年を隔てて人文・地理の異同は何か、と読めば、アメリカ旅行のテーマにもなります。岩倉使節の旅をそれぞれのやり方で跡づけること=「『実記』紀行」が可能です。それは、この巻だけでなく以降の巻にもいえそうです。

 また本書は、カタカナ・漢字の美しい文語文で書かれています。最初は難しく感じても読み進むうちに慣れてきて、叙述がリズム良く流れてゆくようになり、しばしば、何と力強く美しい文章だろう、と思うようになるはずです。安野光雅さんは、ご自身の著書「青春の文語体」でこの本を取り上げてその文語文を推賞しておられます。私も同感です。

第2巻  (1978/10)
明治維新を駆ける先達の熱き想いを,  2004/9/22

とりわけ目立つことは、工業視察の記録が詳細にわたること。アメリカ編でも観察結果をよくぞここまで詳しくリアルに書き残したことよ、と驚かされたが、イギリス編では産業革命の成果でもある製鉄所、汽車関連工場、紡績工場、ビール工場、ドック等々、工業に関する視察結果が、記載の長さにおいても詳しさにおいても際だっている。これは、記録係の久米邦武というよりも使節を派遣した明治政府の意図を反映しているのであろう。また、それら記述には、阿片窟や煤煙のすごさなど負の諸側面や特徴ある山野の風景もちらほら顔を出している。

 読者、それも現代の若者にとっては、旧字が目立つ文語文と相まって読みにくいと思えるかもしれない。しかし、このレビューを読もうとしていただいた方には、その動機故に、それを乗り越えて、あるいは、詳細すぎると思われる観察部分は流し読みしてでもイギリスでの4ヶ月分を通読していただきたい。さすれば、少なくとも、明治維新という時代にあってあくまでも未来に向け心を駆り立てていた先達の熱き想いをうかがい知ることができるから。

第3巻  (1979/01)
文明開化・富国強兵を背景にしたエリート達の眼力, 2004/11/1

この巻では、訪れた国の特徴をつかむ眼力のするどさと比較文化論とが目を引きます。イギリスを発ってドーバー海峡を渡るところから、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツの回覧結果を報告しています。各国の総説を冒頭に置くのは各巻共通ですが、それ以降の章でも、まずは特徴を明確にします。例えば、フランスの文化とパリコンミューンへの見解など政治思想、ベルギー、オランダの小国ながらの特徴を生かした国造り、ドイツの森林と農業、ビスマルク、モルトケの人物像や急激な発展の足どりなど。その上で、米英を含め各国の比較を時に応じて展開して見せてくれます。その一端のみを紹介すれば、ロンドンの煤煙のひどさに比べパリの空気の清透さ、米英独の政治のありように及ぼす各国歴史の違いの影響等々。具体的には、久米邦武の筆にあたってその優れた眼力を見ていただきたいと思います。それらは、久米の透徹した眼力であると同時に、文明開化・富国強兵を背景にした強い問題意識を準備して回覧に乗り出した明治日本とそのエリート達の眼力でもあったと思われます。

本書は、米欧回覧の国民向けの報告という性格をもちますが、それ故に、たとえば、本使節団の目的のひとつ、条約改定に向けての予備会談などはほとんど表に出ません。しかし、そのあたりは巻末の校注で他の文献などを引用して解説されます。それらを会わせ読むと、使節団の全体像に一層近づくことも出来ます。

第4巻  (1980/01)
ロシア革命や日本の20世紀を予測しかねない洞察力, 2004/12/8

ヨーロッパ編中巻。ロシア、デンマーク、スウェーデン、ドイツ(再訪)、イタリア、オーストリアを巡る。

この旅では、まず、ロシアの皇帝をはじめとした貴族と国民大衆との貧富の差の凄まじさに注目する。それはヨーロッパのどこよりも上は高く下は低く、その差は耐え難い程との印象を記している。それから半世紀もたたずにロシア革命が起こるのだが、その背景を正確に読みとっている。イタリアでは、文明の栄枯盛衰を目の当たりにする。

前巻のベルギーやオランダを含めた小国を他の大国と比較考察し、小国の生きる道が自主の精神と営業力にある、と結論している。その考察を読むと、明治以後のわが国の歴史を想い、具体的にはともかくも、使節団がその進む方向をしっかりと予測していたと思わずにいられない。

岩倉使節団または久米邦武の鋭い洞察力に驚くとともに、現在も、各級議会の議員さんなどが外国視察に行かれるが、この本をその際の必読書に推薦したら、とふと思った。

第5巻 (1982/01)
近代日本指導層の代表的世界観?, 2004/12/11

最終巻では、ウィーン万国博からスイスを回覧、帰国命令を受けてマルセーユを発ち海路横浜に帰るまで。ヨーロッパを発つ前には、「総論」と称して全回覧の総括を地理、政治、経済につき展開する。

まず、万国博をつぶさに見て各国比較文明論を展開する。スイスでは、学校教育、農業や時計製造に見られる工業など、国民の自主を育てる国策に感嘆するとともに、その景観が何よりも何処よりも素晴らしいと驚きの声を連発している。その驚きは、現代の我々に比べ、触れるに新鮮なだけ何層倍だっただろうことが伝わってくる。

スエズでは運河開削のレセップスの苦労話なども織り交ぜて、途次立ち寄ったセイロン、サイゴン、上海等のアジア各地の見聞を記録する。その中で、アジア人民をしばしばあたかも野蛮人と描いているのは、多分、自分の目で見ずに伝聞を記しているためではないか、と思われる。自分の目で見た自然環境については、その豊穣さを高く評価し「極楽界ト覚フカコトシ」と記すが、同時に人民を「怠惰」とも観察し、実態をリアルに観て判断を下している。

使節団、とりわけ久米のリアリズムと、そこに流れる潮流を読みとる透徹した考察力のすごさは全巻を通じ強く印象に残り、現代人にとっても刺激的な書物である。

他方で、久米は「総論」などで、特に近代において、自然環境が厳しく、衣食住生産力が必ずしも高くない米欧が、「欲深キ・・・人種風俗の習慣」を以てハングリー精神をバネに競争琢磨をくり返し、高い文明を築いてきた、との考察をくり返す。それは、それ以後の「脱亜入欧」を成し遂げアジアを侵襲する道を選ぶ近代日本指導層の代表的世界観につながる危うさを感じさせる。久米のリアリズムに接して、少なくとも、核兵器や地球環境問題をかかえてEUなどが協働の輪を拡げようとしている現代において違った読み方、結論の導出も可能と思うのだが・・・。読書子の評や如何?

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