今の私が1929年の大恐慌とつながっている!

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私の日常が、今回の金融危機につながっている、と痛感したのは「貯蓄から投資へ」というスローガンめいた言葉を聞いたときでした。銀行の金利がバカみたいように低くなって少しでも利子の高い預金を探し、一時払養老保険が良いと言われてそちらに預金しに行ったのは、もう30年位も昔の話でしたでしょうか。

その後、一時払養老保険でさえ利息が下がり、さあどうすると言って銀行に相談して勧められたのが、外貨預金とか、福袋(毒袋?)のように複合されて中身の見えない投資信託のようなもの。今振り返ってみると、こうした変遷の中に「貯蓄から投資へ」という金の流れに私を含めた庶民の金がどんどん合流していっていたのでした。90年代中頃までは、銀行と証券会社は別物だったのが、金融ビッグバンにより、それらの間にあった垣根が取り払われ、全て投資銀行になっていたのです。ですから、預金の利息をゼロに限りなく近く下げれば、お金はひとりでに投資に向かうことになるのです。

このようにして、私も、新自由主義といわれるグローバル経済に組み込まれていたのです。私の退職手当も、今進行中の世界経済危機の荒波に、知らないうちに巻き込まれていました。

アメリカ発(日本発という説もあるようです。つまり、低金利の円がアメリカに流れて、サブプライムローンを作り出す元手になった、というわけです)と言われる経済危機と、私という現象が、世界という空間的拡がりの中にあることを思わせられるのですが、もうひとつ、時間的にも遠い昔までつながっていることにも気づかせられるのです。

今回の経済危機が、1929年に始まった大恐慌にしばしば例えられるのですが、これは単なる例えではなく、少なくとも、今起こっていることの一部がそこまでつながっているのです。世界経済危機と石油や穀物の投機とは全体と部分の関係になるのでしょうが、今回の経済危機の一部に穀物投機が係わっているといわれます。金融の世界で、余ったお金が投機市場に投資されるのですが、穀物市場も投資の大きな対象になっているわけです。

世界の穀物市場は、アメリカが、自国の余剰穀物をいかに世界戦略物資として有利に動かすかで決まっているといって良いでしょう。その世界戦略がいつまでさかのぼって辿れるかといえば、それは1929年の大恐慌が大きなエポックらしいのです。

その大恐慌とは、「1929年10月24日(木曜)のウォール街のニューヨーク株式市場における瓦落は『暗黒の木曜日』といわれ、この大恐慌爆発の契機となった。以後2か月の間に株式は平均42%の急落を告げた。これは、アメリカが第一次世界大戦中に戦場となることなく、戦争経済から得た過度の利潤を貸付資本として『永遠の繁栄』のもとに投機的に株式投下し、株価を水膨れさせた結果の破綻であり、そのアメリカ経済の内部に過剰生産が進行していたことによる」(日本大百科事典)とのことです。そして、それは全産業にわたる過剰生産とそれに続く大幅な生産低下を起こし、大恐慌といわれる規模のものとなったのでしたが、さらにそれは主要な資本主義国に拡がっていったのでした。その全体像は、長くなるので省略しますが、そこから脱出するのにもっとも効果があったといわれる政策としてニューディール政策が有名です。

ニューディール政策の内容は、大恐慌の内容の広範さに応じて経済のほぼ全ての分野にわたっていますが、ここでは、農業分野に限ってみてみます。その柱は、農業調整法(1933年)です。そのもとで、販売不振や価格低落に喘ぐ農家に、作付制限による価格引上げを保障し、生産を削減した農家に補助金をつけることなどを行うと共に貧農の切り捨てが進行しました。その経過は、スタインベックの「怒りの葡萄」にも描かれています。

それらと併行して、余剰農畜産物対策が進みます。当然、海外への販売などをふくむ諸方策が考え出されました。世界の穀物市場を左右している穀物メジャーという多国籍企業の多くは、この時期に大きく成長を遂げているのです。余剰農畜産物対策に穀物メジャーが係わっているのです。そして、実は、これが、わが国で戦後、ユニセフなどを介して行われた脱脂粉乳の輸入と学校給食への利用につながるのです。その後に続くパン食の普及なども、アメリカの余剰農畜産物対策の一環をなしていました。「パンを食べると頭が良くなる」という宣伝は、どこから発せられたのでしょうか。アメリカの食料世界戦略の一環だったのかも知れません。

戦後の農業・食料の変遷は、別のところで述べていますので繰り返しませんが、日本は、最近に至るまで長期にわたって、アメリカで生産される穀物の四分の一から三分の一を輸入し続けてきたのです。それらが日本の食料自給率の低下の歴史と密接に関係しているのはいうまでもありません。そして、今回の穀物価格の暴騰とそれに続く経済危機につながってくるのです。このような時間的・歴史的つながりは、農産物だけでないのかも知れませんが、それについては勉強する機会を得ていませんのでここでは触れません。

このように、私たちは今回の世界経済不安の真っ只中に知らない間に組み込まれているだけでなく時間的にも昔の出来事にまでつながっているのです。私という現象は、こうしたとてつもなく大きな時空間的網の目のちっぽけな結節点でしかなく、その網の大きな揺れをひとりではどうすることも出来ないのですが、間違いなく結節点のひとつではあるわけです。池に投じた小石の波紋は必ず岸に届く、といわれますが、何かの時には声を出したり、小さな権利を主張したりして、そのことの真偽を確認してみたい気分です。

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