太宰治と座標軸

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桜桃忌、そして生誕100年の6月19日も近い頃に、久しぶり太宰治をひもといてみた。発表年代順に、ダス・ゲマイネ、富嶽百景、走れメロス、ヴィヨンの妻、斜陽、桜桃、人間失格である。

津軽の新興地主のぼんぼんが、病身だとはいえ、おのれの意志薄弱を何とすることも出来ず、デカダンな生活に溺れ、それらに自己陶酔して豊かな感性を生かして多くの作品を生み出し、生活においては自己崩壊の末に女性を道連れに命を絶つ。これが極端に単純化した太宰の一生である。

もう少しだけ追加するならば、そしてこのもう少しが、意外に重要かも知れないのだが、彼もいっときだけ、それと違う道に分岐しそうになった時期があった。1930年代初頭、彼は大学生として左翼運動に足を踏み入れたことがあった。出身故の後ろめたさからといわれている。2年間ほどでその道からもドロップアウトしてしまうのだが、その時のことは、いくつかの作品に描かれる。加藤周一によると、「共産党の非合法活動を去った『良心の呵責』は、ながく残って、おそらく後の小説『人間失格』(1948)を書く動機にまで係っていた。太宰の『人間失格』とは、実は『共産主義者失格』ということである」
(日本文学史序説(下)、ちくま学芸文庫版、p.446)

男性より女性にファンの多い太宰は、作家としても生活人としても、捉え所がないようないわば無座標の世界を生きたといえよう。ひとには生きるにあたって拠り所となる座標軸がひとつやふたつはあるのが普通である。座標軸があるかどうかということを別の例でいえば、見知らぬ土地を歩むとき、地図を持つかどうかということである。自分の今いる場所、これから行くべき場所が分かるかどうかの違いはけたたましく大きい。その座標軸は、家庭であったり仕事であったり、恋人であることさえある。母がそれであることは多く、父がそれであることは少ないかもしれない。ひとによっては神がそれであることも、思想や何々主義であることもしばしばである。

ところが、太宰の場合は、それがまったくない。世間の流れに翻弄され、時代の主流にも反主流にもとけ込めずほとんどランダムにたゆたっている。女性は、そのような人生に何とはなしに寄り添ってやりたくなるのであろうか。これは、太宰に女性ファンが多いらしいことからの推測である。

もし、太宰が大学時代に非合法共産党に止まることが出来たとしたら、「斜陽」は書けても「人間失格」は書けなかったことになる。西洋では、しばしばキリスト教が人びとの座標軸となり、彼や彼女が生きるにあたっての判断基準を与え、導きの糸を提供してきた。日本においては、仏教や神道がその役割を果たしてきたかといえば、ある時期、または一部の人びとをのぞき、そうではないといって間違いではないであろう。

太宰が、座標軸を持ったとしたら、それは神であるよりも女性であった可能性が高く、それ以上にマルクス主義であった可能性が高い。「人間失格」におけるメッセージはそのことを思わせる。しかし、東西のいかなる神も座標軸とするにはある程度の修業や修養が要求され、マルクス主義もある程度の勉強と経験が要求される。しかるに、太宰は、女性は心中の相手に選ぶか捨てるだけのことでしかなかったし、感性に任せた創作は天才故に成功裏に進めることが出来たけれども、神に向かう努力やマルクス主義を身につける根性は持ち合わせることがなかった。

太宰治とは、無座標空間を感性によって漂う作家であった。

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