深い河(ディープ・リバー) (上)(下) 大活字 埼玉福祉会 (2005/5)   遠藤周作(著)

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遠藤さんのカトリック考究は、この作で最高地点に,  2015/5/9

上下巻をあわせてレビューします。

仕事一筋で来て妻を癌で亡くした時の「私はきっと生まれ変わる」という譫言を忘れられない磯部、カトリック系大学生で何事にも冷めており男を誘惑し捨てる美津子、カトリックの神父になろうとする学生で美津子の誘惑にのる大津、いろいろな生きものに興味を示してきて九官鳥に命を助けられたと信じている童話作家の沼田、ビルマ戦線で人肉を喰った戦友に助けられ帰還した木口、これら五人が、それぞれの人生経験を背負いつつやがてインドの観光ツアーに乗り合わせます。現代っ子のカメラマン三條とその妻も新婚旅行としてツアーに加わります。

インドで人間、愛、とりわけ宗教に関する見聞に接します。ヒンドゥー教の聖地ヴァーラーナスィでは、ガンジス川で遺体を焼き人々が沐浴する様子に驚き、ナクサール・バガヴァティ寺の女神チャームンダーがハンセン病を病みサソリにかみつかれてもなお萎びた乳房から人間に乳を与えている像などをみます。ツアー終盤では、インディラ・ガンジー首相が暗殺された事件に遭遇します。それらさまざまな体験を経て、それぞれ人の愛、神の姿などの理解を変えてゆき、結局、総じて神は、生まれた土地の風土に応じた姿、やり方で誰をも受け入れるものである(勿論、もっと深い思想が籠められています)というところにゆきつき、ツアー参加者は、それらをそれそれの立ち位置に応じて深くまたは浅くつかむこととなるのです。それは、とりわけ、神父でありながら、キリストを玉ねぎと称し、マハートマ・ガンジーの語録集を読み、ガンジス川でアウト・カーストの行き倒れ遺体を火葬し川に流してやる仕事に携わっている大津に最も具体的に体現されていると思われます。

遠藤周作によるカトリックまたはキリスト教に関する考究は、どこから始まったか、私には定かでありませんが、『沈黙』、短編集『母なるもの』などを通じての「母なるもの」の追究から、やがてカトリックに止まらず宗教の根源的役割の考察を経て、この作品で最高地点に達したようです。

ついでに、歳をとると、文学全集などで遭遇する細かな文字がストレスとなって、読書の醍醐味を妨げることが多くなります。この本を「大活字本」で読んだのは正解だったと思います。すらすら読めて思索にひたることが出来ました。

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