どくとるマンボウ航海記    北杜夫   新潮社(新潮文庫、改版) (1965/3/2)  

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明らかな嘘からまじめな本当の話まで、スペクトルのように, 2013/7/15

北杜夫が、2011年10月24日に亡くなってから、本書をもう一度読んでみたいとズーッと思っていて、漸く機を得て半世紀ぶりに読むことができました。

ユーモアは、北杜夫の得意とするところで、50年前の読書の記憶としてもしっかり脳裏に張り付いています。しかし、その記憶もいい加減で、オランダで「スケヴェニンゲンへ行ったが、 この名がそのまま日本語として聞こえるのでみんな喜ぶ」というところは、記憶では、港の埠頭あたりでどくとるマンボウとその仲間の船乗りたちがああでもないこうでもないと言いながら騒いでいる場面が思い浮かぶのですが、実際には、「 」のような一行が書かれているのみなのです。どくとるマンボウの文章の流れにより、そんな場面が勝手に脳味噌に焼きついてしまったに違いありません。名文の所以でしょうか。

「私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりはないが書かない方がいくらかマシなことだけを書
くことにした」と書いていることをはじめ、ほら吹き、嘘つきを公言しつつ書いているので、当然、法螺話が多いのはいうまでもないのですが、明らかな嘘からまじめな本当の話まで、スペクトルのように散りばめられ、本当か嘘か分からないところが結構あって、そのあたりも面白い。例を引くのに迷うほどですが、ひとつだけあげておくと、パリで再会した旧友T(辻邦生)が、「星占いによって二十万の戯曲を書く方法というのを教えてくれた」として、それを説明しています。この話は、ほんとうにふたりの間で交わされたのでしょうが、北杜夫が書くところがそのまま本当かどうかは、決めつけがたいのです。

物の値段とか、訪問地の風情など、半世紀以上の間にもちろん違ってしまっているのですが、書かれている本質的なところ、たとえば、人情のありよう、それにもとづく交流の仕方のコツ、見知らぬ異国で気をつけるべきことなど、そうしたところは意外に変わらないと読後に思ったものです。私も、50年前にこの本を読んで、いつの日か、アジアやヨーロッパの諸国を訪れてみたいと思ったものですが、実際に、この半世紀、どくとるマンボウが訪れた国のいくつかには、スケヴェニンゲンも含め行くことが出来ました。その時々に、どうやら無意識に、この本から得て身につけたことを実行していたように思うのです。そんな意味でも、この本は名著なのかも知れません。



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