裸の春―1938年のヴォルガ紀行    群像社 (2006/01)

                   ミハイル プリーシヴィン(著) 太田 正一(訳)  

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雪解けを待つ時季、春への足音を聞き、生の希望を読み取る詩, 2008/3/3

北国では、雪が溶け出し春に向かう時季が格別な意味を持っています。微かな光の動き、気温の変化、水が溶け出す気配などから始まって、生物が生き生きと動き出します。それ以後の自然界の動きは、プリーシヴィンの記述に任せるのが最良なのですが、そのエッセンスのみ示せば、「ひかりの春」がきて、「水の春」、「草の春」、「森の春」を経て「にんげんの春」へと移っていくのです。

1938年は、スターリンの大粛正が荒れ狂う年。その春の洪水時季をめがけて、トラックに小屋を乗っけてヤロスラーフ街道をヴォルガ河畔、ネクラーソフの国に向け出発します。メンバーは、息子をふくめ3名と3匹の犬と2羽の囮カモ、現地では、何人もの人々、とりわけネクラーソフの物語詩の主人公マザイ爺さんの名を貰う老人などが登場します。

プリーシヴィンが物語るとき、登場するキャストは、人間だけでなく自然界のさまざまな鳥や動物、植物、茸などです。吹きすさぶ風、舞い降りる雪、流れ出す水などもそうです。それらが、「骨肉の目」=親類縁者に寄せるがごときまなざし、態度によって描かれ、それぞれが「森の階梯」と彼によって呼ばれる持ち場を有し、個性を持ってうごめいています。人間との間に交感が行われます。といっても、人間の想像する場面以外では精霊が出たりはせず、自然科学的理解の範囲内でのことです。言わば詩的なリアリズムです。それは、プリーシヴィンが、大学で自然科学を学んだことと相通ずることかも知れません。

私は、この時季になると越後や北海道の雪国に行き、自然の中に身を置きたくなります。それは、この本にも描かれる春への確実な足音を聞きたくなり、その足音に生の希望を読み取ることができるからかも知れません。プリーシヴィンは、それらをロシアの自然と歴史の中でじっくりと見て描いているので、読んで得るものはいっそう深く広いです。

特にアウトドア派や自然派に属する読書子にお薦めの本。詩人にも良いかもしれません。


なお、「絶學無憂」に、もう少しくわしく書きましたので、そちらもご参照下さい。

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