とろろ汁 喰えば麦飯 なつかしく
大寒が過ぎてようやく不二のやま

新幹線で富士川を渡る時、ようやく富士らしくなったと思うのは頭に深く雪を被った後です。今年は、それが大寒の直後でした。それも「おーぅ」と思ったのは、快晴の富士で、一昨日浜松への出張の途上のそれでした。
初芝を 刈り行く先に 沈丁花
沈丁花 小さき庭を ひとりじめ
霞ゆく 富士の河原に 柳萌え
旅立ちに そっと背を押す 「早春賦」

胸の血を いかにせよとの 「早春賦」
あらぐさの萌えて沃野に鍬はこぶ
富士川を飛ぶ白鷺の小さくて
谷埋めて 昨日雪山 今日霞
 春暁に 目覚めて聞くや 軒の雨

 春眠に 啼くやメジロの 一羽二羽

十年ほど昔のことになりましょうか、全盲の三宮麻由子さんがNHKテレビでお話されたのですが、三宮さんは、鳥の声を聞くうちに空の存在、その高さや広がりを知り、夜明けの移りゆく姿、季節の変化のすばらしさ、さらには人との出会いなどを知って行く。その人生の輝きを語っているのに接し、この世界や人生の深さ、大きさ、すばらしさを教えられた気がしました。

それ以来、私は、夜、ふと目覚めた時や寝付かれない時など、目を閉じて、耳を澄ますことが多くなりました。いろいろな音が聞こえてきます。早暁の鳥のおしゃべりのほか、遠くで聞こえる深夜便のトラックのうなり、雨のリズム、風の疾走などに聞き入っているうちにいつの間にか心地よい眠りの中に入って行くのです。

普段、目覚めて目を見開いていると、つい浮き世の金襴銀欄に目を奪われ、三宮さんのように深く聞くことはほとんどできないのですが、おかげで、違う世界のあることだけは知ることが出来ました。
春なれや 木々の根方の 雪解けて
雪山の 木の根方から 春のぞく
路地裏に日永印して影法師

帰宅する路地の舗道に影うらら

うらうらと伸びる夕日の影法師
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俳句 その1
里山に 廃屋囲み 柿若葉

翡翠(かわせみ)の 水浴びており 地蔵堂

椋鳥の アンテナにいて 梅雨近し


以上3句、1997.6.

小田原から焼津にかけての地形は、箱根、富士の火山とフォッサマグナが風景に変化をもたらしていて結構面白い。
 新幹線で関東平野にいる内はしとしと振りの雨だったが、丹那トンネルを抜けると富士一帯がすごい雨。窓に斜めに雨流がうねり外の風景は霞んでおぼろな上にしばしばゆがんで後ろへ去る。富士川を渡ると雨はだいぶ小振りになり、トンネルで薩達峠のあたりを抜け興津に至るとほとんど止んでいて、清水港にダチョウのようなクレーンが見えた時には、もうすっかり上がっていた。山側を見ると山頂は見えないものの山の端は雨雲にくっきりと面を画し、入り組んだ谷に純白の霧が流れ下っている。その速度は走行中の新幹線から見えるのだからかなりのものである。

  梅雨上り 谷を這う霧 足早し

  雨上り 山の端画す 霧白し

  梅雨上り 慌てて谷へ 霧下る


 夜のテレビでは、伊豆地方の大雨警報が解除され、明日は梅雨前線が太平洋に南下するが日中時々雨があるだろう、と報じていた。                    (2007.7.6)

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