光の大地
  辻 邦生(著) 毎日新聞社(1996)

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現代の新しい生き方を考える演習,
 2017/03/21

あらすじ

 主人公油木あぐりは、タヒチはボラボラ島の世界的チェーンの観光リゾートホテル、クラブ・アンテルのヴァカンス村のスタッフとして働いている。彼女は、タヒチ住民の魚はその日食べるだけ捕ればよいといった生活の送り方などにふれつつ、同じスタッフの頼母木、日仏混血のジョゼ・レノーと知り合ってゆく。ジョゼは、元レーサーでセスナ機を操縦する。あぐりは、東京からのツアー客の動きに何か異様なものを感じる。彼らはあぐりのサーフィンを見たいといった。しかし、その中の一ノ瀬教授からこっそり、サーフィンをするのを止めてくれと頼まれた。彼女は止めることにした。彼女のバンガローの入口に、思いあたりの全くない果物籠が置かれていた。タヒチをサイクロンが襲った。スタッフは、施設の補強などをしつつも、過ぎ去るのをじっと絶えて待つしかなかった。そのなかで、巡回中のあぐりを頼母木が食糧倉庫へ引き入れた。一ノ瀬教授は大学にいるうちから瞑想に意義を見ていて、愛弟子の宇津次郎らと道場を開き、やがて金環真理教という教団をつくった。頼母木はその一員だったが、最近は教義などに疑問を持っていた。今回の東京からのツアーは教団の幹部一行だった。彼らは、あぐりを監視下に置いていた。頼母木は、あぐりを教団から切り離そうと食糧倉庫に引き入れたのであった。サイクロンが過ぎ、再建が始まった。頼母木が、あぐりに君は危険だ、誰かと一緒にいるように、と伝えた。ジョゼが頼母木に、あぐりに届けられた果物籠に、「海へ捧げられる聖処女へ」というメッセージがついていたことを話した。このメッセージは、風雨に引きちぎられてドアの下に張り付いていたため、あぐりは見ていなかった。頼母木は、バンガローで縛り付けられた一ノ瀬教授をみつけ、教団が、教授が神の島ライアティアで焼身自殺し、サント・ヴィエルジュはランギロア環礁で海に捧げられる、といっていることを知る。あるりが行方不明になった。教団は、それを実行しようとしている。警察に連絡し、ジョゼと頼母木は、セスナで飛び立った。警察情報で漁船が漂流している、という。漁船の回りには人影が見えない。しばらくして双眼鏡を覗いていた頼母木が、白い物を見つけた。降下してみると何かをくくりつけたボードである。波の高い水面にフロートを波にバウンドさせて着水した。意識を失いかけているあぐりを救出した。教団幹部は、誰も見つからなかった。
 あぐりは、フランスのアルザスにある療養所で西洋を続けていた。クロード修道尼がカウンセリングを含む世話をやいていた。ある日、頼母木から手紙が来た。彼は、今は、カッパドキアのクラブ・アンテルで働いていて、療養所に行きたいと書いてあった。彼はやってきた。彼は、謝罪と愛の告白をしたが、彼女は、海に連れ出されてからのことを話し始めた。一ノ瀬が、「彼女は、聖処女なんかではない、ジョゼという女性を愛している」といって助命を主張、教団幹部には動揺が走った。結局、ボードに縛り付けられたまま波に流されて意識を失った、と経緯を話した。彼は、近くのオーベルジュに泊まった。翌日、コルマールの祭壇画を見に出かけた。途中で、思いがけずユダヤ人の強制収容所に出くわした。コルマールの美術館では、グリューネヴァルトの描いたイーゼンハイム祭壇画を見た。十字架に掛けられたキリストがあくまで写実的に描かれていて、二人に衝撃を与えた。その夜、療養所を客が訪れた。あぐりの義理の父だった。父は、母を好きになった彼のために身を引いたのだった。彼は、病気で死んだ父の仕事を引継ぎアフリカで医療活動をしていた。彼は、父の大きな心について語った。
 あぐりは、療養所からパリのジョゼの家に移った。ジョゼは、エジプトのラリーに参加するという。純粋の生を見つけたい、一瞬一瞬に燃え尽きたい、という。頼母木がパリに来た。彼は、あぐりがアルザスで生まれ変わった、新しい目で世の中を見ることができるようになった、といった。彼らはエジプトに飛んだ。ラリーの連絡用ヘリに便乗することができた。ジョゼは、3位か2位あたりにつけていた。岩山のキャンプ地で、あぐりはジョゼと会った。そこで大雷雨に見舞われた。嵐が去ってラリーは再開され、ジョゼのチームは2位だった。走行中、ガソリンの匂いがした。どこかから洩れているのだ。チェックポイントに何とか着くようにと走行を続けた。やがて発火し車は爆発炎上した。何とか乗員は脱出した。救助ヘリからあぐりが降りてきた。

 この物語を通して、あぐりやその仲間が考え知った新しい生き方・考え方など興味ある記述を本文より拾ってみると:

@ 奇妙な飢餓対策:ヘロドトスによると、飢饉対策には、何ょりも、空腹を忘れるのが一番だ、ということになったんです。そして空腹を忘れるには、ゲームが一番だといぅことになって、一日じゅぅゲームに熱中したんです。ゲームをした次の日は、ゲームをやめて、食事をとるのに当てられました。こうしてリディア人は、一日おきの食事で、なんと十八年間も過したとヘロドトスは書いている(p.66)

A 海と一つに解けた感覚:あぐりがもぐるのはせいぜい一分程度だが、それでも、海と一つになる感覚には、スキューバ・ダイビングとは違った、もっと直接の溶融感があった。
 ディレクターの宇津次郎は、そうした海と一つに溶けた感覚が、人間に最も失われたものだと言った。
「人間は自然の一部なんだ。海にもぐっていると、人間が生命として海で生れてきた原初の記憶を取り戻せる。人間の血は塩からい。海と同じだからだ」
 宇津次郎には謎めいた感じがあって、あぐりは共感できないこともあったが、潜水に関しては、宇津のいうとおりだと思った。(p.78)

B 過ぎて行く時間の楽しさ:「ねえ、桁八さん。フランス料理で一番魅力的なのは、アペリチーフの時間じゃありませんか」
「空腹を刺戟するという意味でですか?」
「それもあります。しかし私には、味わっているのは、チンザノやベルノやキールではなく、時間だと思うんです。過ぎてゆく時間の楽しさです」
 鈴鹿礼吉は横眼で一ノ瀬教授のほうを眺めた。一ノ瀬は何か考えるように黙っていた。
「フランス料理の主役は時間だ、これは私の年来の持論なんです。食前の時間、メニューを調べる時間、食事のあいだの時間、食後の時間」
「そりゃ、日本料理だって同じじゃないですか。たとえば懐石などの間の取り方」
「日本は間ですね。フランスは持続です」(p.79)

C 成功がいかに無意味なものであるか:ジョゼの気ままな行動は、ただ一つの目的にむけられていた。それは、仕事と成功を原動力として動く男社会の価値感覚を転倒させることだった。成功がいかに無意味なものであるか、人々の眼の前で、挑発的に示すこと、それがマティニョン大通りの豪華なファンシヨンサロンで行われたジョゼの引退劇の真意だった。サロンにはパンクの男女が異様な風体で集って、スキャンダルを増幅した。美しいマキヤージュ(化粧)で人々を魅了していたジョゼは、当日は素顔で現われ、古代ギリシャ風のシンプルなキトンを着ていた。ジョゼは男性への従属の表現であるマキヤージュは今後一切否定すると、声明文のようなものを読みあげた。むろんあの微笑は忘れずに。
「男社会に所属してたら、女は人間になれないわ。だからまず男社会を解体するの。男たちの成功主義や仕事主義の仮面を剥いで、喜びと幸福でできた人間本来の生き方を取り戻すのよ。それが女の仕事だわ」(p.104-105)

D ロベスピエールの恐怖政治は:「大学でフランス革命史をやったとき、ロベスピエールの恐怖政治も、彼が純粋な理想を追求するあまり、他の革命派の人たちが許せなかったからだと聞きました。権力闘争って、どこでも似ているんですね」(p.184)

E 喜びの黄金時間を取り戻す:「大事なのは現実にしっかり立ちながら、喜びの黄金時間を取り戻す道だよね。そうじゃないと、また、どんな破滅が人間をおそってくるか知れない」
「黄金時間に酔いしれて、現実を忘れたとたんに、破滅がくる。私たちがそのいいお手本ね」(p.234)

F ゴーギャンは文明生活を棄てた:画家は、色と形という容器に、楽園の香りを盛るために、普通の人間たちが幸福と呼んでいるものを投げ捨てたのだ。便利な文明を見すて、南の涯の島に一人ぼっちでくるなんて、どうみても正気の沙汰じゃない。しかし美の至福のために、ゴーギャンはそうした。そして、地上は、光に満たされているだけで、それだけで至福なのだ、という真理を見つけた。それを絵に表現した。
 ゴーギャンは文明生活を捨てた。妻も子も捨てた。いったい彼はいや、そうじやない、とあぐりはつぶやいた。真理を見つけたとき、ではいられなかった。真理を万人のものにしたかったのだ。(p.245)

G 人間は自然の生命に生かされている:それは自然が途方もない大きな恵みだということだった。そして人間は、自然の生命に生かされているのだという感情だった。(p.269)

H 人間は、自分の死も死ねなくなった:「…リルケだったと思うけれど、人間は、自分の死も死ねなくなったって言っているわ」(p.281)

I イーゼンハイム祭壇画:(p.285)

J 勝つことだけに執着しては:「残念よ、もちろん」ジョゼは答えた。「でも、私たちの喜びって、乾いた砂漠や、暑い太陽や、喉の渇きや、岩との衝突や、いつ火を噴くか分らないマシンとの戦いを生きることだったわ。それは素晴しい経験だった。勝つことだけに執着しては、こうした幸福は不可能だったと思うの」(p.322)

K やさしさ:いま大事なのは、頼母木さんの持ってるようなやさしさよ。(p.324)

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