ほろびた国の旅   三木 卓(著) 講談社 (2009/7/9)
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満洲とは何だったのか、子どもたちと一緒に考える
, 2009/10/30

大学入試に失敗して勉強中の図書館でタイムスリップした三木少年は、そうなるきっかけを与えた山形さんとともに、かつて住んでいた大連を訪れ、特急列車「あじあ号」で満洲国の旅をします。その時代は、昭和18年と20年8月です。

まず、あらすじを記します。

大連で、「満洲のこども 五族協和の夕べ」にしのびこみます。そこには、「五族」の子どもたちが楽しそうに集い遊んでいます。そこへ「あじあ号」が到着します。乗りこむと中は子どもたちでいっぱいです。でも、一、二等車には日本人がほとんどで、三等車には日本人はほとんど乗っていませんでした。日英混血の友達安治と一緒に不審がられた三木少年は憲兵らに追われ、逃げ込んだ穴から飛行機のある学校に行き着きます。その飛行機の中で満洲国のこと、五族協和のこと、戦争のことなどを話し合います。飛行機から抜け出した三木少年は、安治と別れ大連の自宅を訪れます。窓からのぞくと、小学校三年生の三木少年はジフテリアがまだ治りきらずに布団の中です。お母さんと話しています。窓の外の気配に気がついた兄さんに見つかりそうになります。その場を離れ、遊園地に戻りふたたびあじあ号に乗りこみます。あじあ号は、ハルビンに向かって動き出します。あじあ号の中では、満人の楊君、間島省出身の朝鮮人中学生の高君、白系ロシア人の少女アンナをはじめ、いろんな子どもたちと話を交わしたり遊んだりして過ごします。さらに、何と、新聞記者をしているお父さんにも会って話を交わします。話は、戦争の今後のなりゆき、人種差別のことなどに及びます。三木少年の背後には常に憲兵の影がちらつきます。あじあ号での出来事、とりわけお父さんとの話を通じて、満洲で日本人がしようとしていることの本当の意味が見えてきます。眠って起きたとき、あじあ号には、三木少年と山形さん以外、誰も人がいなくなっていました。運転手さえいないのです。前方の線路までもなくなり、とうとう、列車は脱線転覆してしまいます。現場から抜け出した彼らの目には、ソビエトのものと思われる戦車が驀進する姿が見えてきます。時は既に昭和二〇年夏になっていたのです。避難民の通った跡をたどり行き着いたしらかば林では、木々の根方で死に絶えている多くの子どもたちの姿が入ります。そこで一夜を過ごした彼らは、再び図書館に戻っていたのです。

このようにちょっとファンタジックな展開を通して、「五族協和」の呼び声のもとで当時の満洲で起こったことをいろいろ追体験します。高校を卒業した三木青年の目を通してそれらを客観的に見直すことにより被害より加害を多く考えさせる筋の運びに特徴があります。満洲で日本人が豊かに幸せに暮らしていたとすると、それは日本人以外の四族の人びとの苦しみの上に成り立っていた、という事実に読者が気づいて行く仕組みになっています。

小学校高学年以上の子どもであればそれらを考えることが勿論可能なのですが、大人にとっても大切な視点と考えられます。なぜなら、当時を知る高齢者が年々少なくなり、そんな中で、ともすればそうした事実を忘れたり、時にそれらにあえて目をつぶろうとする傾向があるとすれば、もう一度、今、それらを再考することは意味あることでしょう。満洲とは何だったのか、それを大人と子どもが一緒に考えるのに適した本といえます。三木卓と講談社はそれに気がついて本書を再刊したのではないでしょうか。ちなみに、本書の初刊は40年前のことでした。

「あの戦争から遠く離れて 私につながる歴史をたどる旅」の著者城戸久枝さんが解説を書かれています。


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