連立政権への期待と不安・・・辻邦生は細川内閣をどう見たか?

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民主党中心の連立政権が、民主党が獲得した圧倒的な議席数に示される大きな期待と、選挙中からもささやかれた一抹の不安を伴いながらスタートしようとしている。後者の一抹の不安について考えているうちに、私は、かつて読んだ辻邦生のエッセイ集を思い出していた。

作家辻邦生は、1993年8月9日に細川護煕内閣が発足した直後(8月13日)、信濃毎日新聞夕刊の連載コラムに次のように書いていた:
「新首相の記者会見をテレビで見て、率直明快に記者団の質問に答える態度に、筆者は感動した」と。そして「とくに、今年中に政治改革が実現しなければ、責任を取る、という発言は、普通の政治家なら、まず言葉のあやだけで答弁する。だが、細川さんのは政治生命をかけた発言だった」とさえ書き、それは「かなり無理な連立内閣を国民が支持しているのも、こうでもしなければ、結局は、自民党一党支配の政官財癒着構造が続くことを、いやというほど、知らされたからだ」と記している。この日のコラムを結ぶにあたって、辻は、「細川さんを見ていると、国民とともに考え、苦しんでくれる首相がはじめて生まれたという気持になる。細川政権の成功を祈りたい」と絶大な期待を寄せていた。辻が、かつて織田信長の近代的ともいえる合理的思考とリーダーシップを描き(「安土往還記」)、思索好きな古代ローマのユリアヌスが皇帝となる偶然と必然を描いて(「背教者ユリアヌス})国家のリーダー像を刻んだことを思うと、その期待に強い現実味を感ずるのである。

その当時、戦後長く続いてきた自民党一党支配の負の側面が、バブル経済の破綻を経験するなかで金権腐敗として噴出し、今から思い起こすと、まさに末期症状を呈していたのである(それがさらに極まったのが今回の選挙の直前であった)。金丸信の大手ゼネコンなどからの毎年数十億円という献金・裏金の発覚と自宅から発見された金の延べ棒は、それを象徴していた。そのような中で、連立政権という方法で、もうひとつの道にたどり着いたのであった。1955年以来、初めての自民党の下野であった。細川政権に対する国民の期待は、辻のそれにもみられるように大変大きく、しかも広範なもので、発足直後の世論調査によると、70〜80%という歴代内閣最高の支持率を示した。

その後、細川政権がどのような道をたどったのであろうか、それを思い出してみよう。

細川内閣は、日本社会党、新生党、公明党、日本新党、民社党、新党さきがけ、民主改革連合、社会民主連合の8党会派による連立内閣であった。政治改革、行政改革、経済改革を大きな目標に掲げ、最大の仕事として、小選挙区比例代表並立制を柱とした政治改革関連4法案を自民党との密室談合の下で成立させた。緊急経済対策として、94項目にわたる規制緩和策を盛り込み、「日本の構造変革への第一歩」と位置づけた。ウルグアイ・ラウンドにおけるコメの部分開放を、社会党などの反対を押し切って強行した。連立内閣の運営に当たって、当時、新生党代表幹事を勤めた小沢一郎が大きな役割を果たしたとされている。細川内閣は、結局、1年もたずに、東京佐川急便問題により窮地に陥り、1994年4月、突然、辞任したのであった。

辻は、別の日(1994年5月20日)のコラムで「パリに滞在中、細川内閣の瓦解を知った。・・・しかし、帰国してもなお、内閣が決まらず、重要法案の審議どころではないという状態を見て、いったいこの責任はだれがとるのか、唖然とした気持だった」など、戸惑いと無念さを示した。その後、辻は細川内閣についてそのコラムに書くことはなかったのである。世間にもあった期待のおおきさと、とりわけ絶望のおおきさとを辻の心に見る思いがした。

なぜ、今、細川内閣の顛末を、思い出しているかといえば、お分かりいただけるかと思うが、今回の総選挙における民主党の圧倒的勝利とあらたな連立政権の樹立の先行きに、それを繰り返すようなことがあってはならない、と強く思うからである。

では、どうすればそれを防ぐことが出来るのか。

考えてみるに、大きくは、連立政権内の自己制御と国民をはじめとした周辺の厳しい眼、とくに後者ではないだろうか。

前者はいうまでもないことであるが、細川内閣がそれを行えなかったことからも一抹の危惧がないわけではない。今回は、先回のカオスのような連立ではなく、圧倒的に民主党のウェイトが高い。しかし、党内が、カオスとはいわないまでも幅の広い寄り合い所帯である。その形相は、自民党に近い。まずは、308という議席数が、小選挙区制という仕掛けにより、得票率にくらべ水ぶくれしていることを自覚する必要がある。

後者は、前者に対する眼も含め、決定的な力であろう。これには、政権外の共産党や時には自民党の眼さえ機能するかも知れないが、何よりも国民自身が自発的に失敗の芽を摘むような行動を仕組みとして保障しなければならないだろう。マスコミは、足をひっぱることと尻を押すこととの両面をなすので、あまり頼りにするわけに行かない。そこで、たとえばインターネットを使ったチェック機能は国民が使いやすい仕組みとなりそうである。とりあえず、その辺りを心づもりしておくことはむずかしいことではない。その他、国民・有権者が知恵を出して後を押したり批判したりすることが基本である。それ以上の面倒な仕組みはむしろ出来ないで欲しく、ある意味で、機能しないことがセーフティーネットなのである。
                                            
(2009/9/4)

参考資料

1. 辻邦生(2000)「辻邦生が見た20世紀末」、信濃毎日新聞社、
2.「細川護熙内閣」、日本大百科全書(ニッポニカ)、ジャパンナレッジ(オンラインデータベース)、 入手先<http://www.japanknowledge.com>,(参照 2009-08-31)

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