深読み、連想も読み方のうち

エッセイの目次へ戻る

                                                    トップページへ戻る

世の中、理屈通りにことが進むなら、たとえば、わが国の政治の世界も、民主党が、党名に「民主」を掲げて庶民のためという見せかけの下で大嘘をつくようなことにならず、文字通りの民主主義が実現するのではないかと思います。それが、そうは行かないのには、言葉の難しさがデンと横たわっていることがあるような気がします。

言葉、それの集まりである文章は、いろいろな角度から読み取ることがあって、そのどれもが間違いとはいえない、ということが多いのです。深読み、連想などという読み方が時に間違いといわれることがありますが、それらは、一概に正しくないとはいえないのです。

そのことを、例を通して考えてみましょう。

「宮川大助・花子」は、それぞれの持ち味を大いに発揮して(大助+花子)以上の味を出しています。論理的には、あるいは、西洋合理主義からすれば、1+2=3は、正しいわけですが、それが論理の世界を離れると、一概に正しいといえないことが起こるのです。どの数字にも割り切れないことがつきまとうのです。たとえば、芸人の芸や職人の技のかなりの部分が割り切れないのです。つまり、上の式が、現実の世界では(1+α)+(2+β)=3+γ となっているようなものです。α、β、γは、計量不能です。花子のα、大助のβが融合してγを醸し、それぞれの体重を合わせた3よりも時に大きな味を醸し出す、というわけです。

別の例を挙げましょう。葛飾北斎の有名な「富嶽三十六景」のなかに、「赤富士」があります。これは、ほとんどの方が、富士山の絵だというでしょう。しかし、「裏波」はどうでしょうか。近年の地球温暖化を論ずるときに、そのスライドのタイトル・バックに使われたりもするのですが、この絵を富士山の絵と見る人は、赤富士の場合に比べると割合が減って、波の絵だという人が少なからずいると想像できます。どちらが正しいか、は難しいですが、これが「富嶽三十六景」としてまとめられると、富士山の絵だという方が増えるのではないでしょうか。これは、言葉や文章ではないですが、その絵の芸術性故の読まれ方の違いといえそうです。

  
 
葛飾北斎「富嶽三十六景」より
  
赤富士                    裏波


もうひとつ例を挙げましょう。これは、インターネットのあるサイトで、中国人向けの日本語検定試験の模試の例題として紹介された問題です。

「 気をつけて見ていると、人間の創造的行為の前には、いつも静かな時と何もない空間があることに気づくはずです。すべての考えや物事は、はじめ沈黙から現れ出て、成長します。心の中で最初は『アイデイア』として、そして後にすばらしい『創造物』として形づくられていくようです。創造的プロセスの最もむずかしい部分は、 (    )こともあります。なぜなら私たちは、沈黙して内なる小さな声を聞こうとせず、無理やりに結果を求めようとしがちだからです。」 

上の(  )の中に、下の1〜4の一つを入れるとすれば、何番が正しいか。
1 活動する前の沈黙の時期である
2 アイデイアを実現する時期である
3 物事が成就する前の時期である
4 創造物を完成させる時期である

いろいろ考えれば、どれもあり得る答といえそうです。日本語検定試験としては、点数をつけなければならないので、多分、1を正解とすることになるのでしょうが、その他でも、立場や状況などにより、1以外を入れる人がいてもおかしくないといえそうです。

ここにあげた例だけでなく、世の中には類似したことがたくさんあります。それを見る人の観点、立場やおかれた状況などにより、時には深読みといわれるような見方をする人もいるし、連想により、書いてあることや言われていたことと似ても似つかないことを読み取る人もいるのです。そしてそれらを正しくないなどと一概に決めつけるには慎重であらねばならないのです。ものを書くときには、言葉の重さや文章の難しさを考えてみることが、コミュニケーションを円滑に進めるために大切なことといえましょう。

エッセイの目次へ戻る

トップページへ戻る