イーハトーブと満洲国―宮沢賢治と石原莞爾が描いた理想郷
 宮下 隆二(著) PHP研究所 (2007/06)
                                                                                                                    満州の目次へ

両者の類似は形式のみで相違は大きい,
, 2007/8/16

この本の題名を見ると、宮沢賢治と石原莞爾とが何らかの関係にあったかのようにみえる。出版社による内容紹介にもそのように読める表現がある。確かにこの本の眼目は、賢治と莞爾の共通点に着目したところにあると考えられる。

ふたりとも、日蓮に源流を持つ法華教の信者であり、かつ、その師が田中智学という国柱会の創始者で、戦前に日蓮と天皇制を関連づけて多くの人を惹き付けたカリスマであった。しかし、ふたりが田中からくみ取ったものは、筆者の書くところからは、それぞれかなり違った内容であるように読める。

賢治は、東北農業を科学・芸術・宗教の統一においてとらえ、それをイーハトーブという理想郷=モデルとして創造しようとした。法華経はその一要素となっていたものである。賢治は、著者によると法華経から主として自己犠牲の精神をくみとり実践した。

他方、莞爾は、法華経を学ぶ中から、特に智学の国体論に傾倒し関東大震災の災厄などを契機に日本の未来像として、満洲国にその理想郷を想定し、彼の高度な戦略眼と戦術能力をもって戦局を切り開こうとした。

ふたりは、結局、その実践を実らせることなく終わるのであるが、それに係る考察は本書の主目的ではない。

理想郷を描くにあたって、賢治は法華経を自身の内部に体現しようとし、莞爾は外部に実現しようとした。その時、法華経の師がともに田中智学だった、というわけである。つまり、贔屓目に見ても単なる相関関係のみで、因果関係や兄弟弟子としての影響など意味のある関係を本書からは読み取れないのである。

このような相関関係を有意としてもてはやす傾向が出版界や言論界にあるが、斯界ではそのような潮流をどう評価しているのだろうか?


満州の目次へ
図書室の玄関へ
トップページへ