戦争は時代遅れ

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戦争をやりたい人たちがいまだにいる。政府高官などをはじめ、国の指導者の中にそういう人たちが多くなると、何よりも庶民が迷惑する。戦争をやれ〜、と叫ぶ人たちは、軍隊の作戦参謀であったり、武器製造業のオーナーであったりするのであるが、あたかもゲーム機の前で遊んでいるようである。しかし、戦場で戦う兵士やその家族はいつ命が失われるか、戦々恐々とすることになるのである。

近年の戦争は、湾岸戦争に見られたように、電子戦争の形相が強まり、かつての白兵戦はもちろんのこと戦闘機による空中戦や爆撃機による空襲とはずいぶんやり方が変わったようである。湾岸戦争におけるアメリカ軍の死者は僅か数十人であったという。しかし、現地人の死者は、もちろんもっと多くて非戦闘員も殺されている。そういう意味では、変わったのは戦争を仕掛ける側であって、被害を受ける側は必ずしも変わったわけでないことが多い。

マルタン・デュ・ガール「チボー家の人々」を読むと、終わり近く、第1次大戦に参戦した主人公のジャックが反戦ビラを撒くために飛行機で飛び立つのだが、墜落して死亡してしまう。そこにこめられた作者の思いは、前世紀(19世紀)までの戦争は、まだずいぶん牧歌的であったが、今世紀(20世紀)の戦争は、悲惨きわまりない。このような戦争は、2度と起こしてはならないし、今大戦もすぐに止めるべきだ。というところにあると少なくとも私は読み取ったものである。

マルタン・デュ・ガールは、上記作品のうち「1914年夏」と題された作品でノーベル平和賞を得る(1937年)。それは、第1次世界大戦がいかに人々に厭戦気分をもたらしたか、を表すひとつの現れであるが、何よりも、その願いは国際連盟の結成に現れている。連盟規約(1919年)に、国際紛争の平和的解決および軍備縮小がはじめてうたわれ、締約国が規約に定められた紛争の処理手続を無視して戦争に訴えた場合、制裁を受けることが明記されている。初めての集団安全保障のシステムである。

その結果、1920年代にはギリシア・ブルガリア紛争(1925)などの解決に成功した。その後、1928年には不戦条約がつくられ侵略戦争の違法化が明確に規定されている。しかし、30年代に入り大国間の対立が激化し、満州事変、イタリア・エチオピア紛争などの解決に失敗し、日本、イタリア、ドイツが国際連盟から脱退し、ソビエト・フィンランド戦争の解決も出来ずに、ついに第2次世界大戦などへと突入することとなる。

不戦条約には、日本を含む原加盟15か国が調印し、29年7月24日発効した。「締約国ハ、国際紛争解決ノ為(ため)戦争ニ訴フルコトヲ非トシ、且(かつ)其(そ)ノ相互関係ニ於(おい)テ国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ放棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス」(第1条)という規定は戦争観の歴史的転換を意味した。戦後作られた「日本国憲法、第9条」とともに、戦争は2度と起こしてはならないという人類の経験・教訓に基づく宣言である。人類史からみれば、戦争はなくなる方向にある。

その後、60年を経て、人類のかなりの部分はそれを認識しているし、戦争の絶滅を強く願っている。しかし、今でも戦争は世界に絶えないし、これらの人類的宣言を否定し戦争のできる国を作ろうという政治家がわが国にも現れている。ほとんど信じられない。ヤーヤー吾コソハ・・・と職業軍人としての武士達が白兵戦をやっていたときとは違って、現代の戦争は、多くの民衆が塗炭の苦しみにあえぐのである。大企業やお金持ちから資金を得て政治に参加している人が戦争をしたいらしいので、そのような政治家には金輪際投票などしたくない、というのが民衆の本当の声では無かろうか。戦争は、時代遅れなのである。もう決してやらないようにするのがこれからの世界の趨勢である。

参考資料
1.ロジェ・マルタン・デュ・ガール(山内義雄訳)(1984)『チボー家の人々』(白水社)
2.植田隆子「国際連盟」日本大百科事典Japan knowledge版
3.濱口 學「不戦条約」=「ケロッグ・ブリアン条約」日本大百科事典Japan knowledge版

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