自由と規律 ― イギリスの学校生活    

       池田 潔 (著)    岩波新書 (1949/11)

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現代にふさわしい教育像はどんなものか?  2009/4/20

初版は、1949年。戦後日本の急速な変化が、米国、従ってGHQの政策転換(朝鮮戦争が1950年に始まった)のもとで歩をゆるめ、日本の右傾化が目立ちはじめた頃の出版でした。戦前の窮屈な時代の反動もあって、時に行き過ぎと思える自由も目についた時代でもありました。そこにこの本が投じた波紋は少なくなかったでしょう。以後、この本がいろいろな機会に推奨され、読まれもしました。岩波新書のロングセラーのひとつです。

私が、今回読んだ本は、小学校長になりたての父が求めたもので、昭和25年2月発行、第2版となっており、父の蔵書印が押されています。今や紙もかなり黄ばんでいます。今回が、少なくとも3回目の通読になります。

イギリスのパブリックスクールにおける生活・教育の姿を、「自由の前提としての規律」の実相という切り口で紹介しています。名文が続きます。やや古めかしい言葉使いや言い回しが使われるものの、文章は流れるごとく洗練されており、ほとんどの読者には少し読み進めば慣れて結構スラスラと読めることでしょう。

パブリック・スクールに通う学生は、ほとんどが上流階級の子弟です。将来、エリートとして各界で活躍する人材が教育・訓練を受ける場でもあります。そうした世界では、「ノブリス・オブリージ」とか「Loyalty」など、ある種の品格を身につけることが要求されるといいます。全寮制で、時に独裁的とも見える指導者(それは校長や時に教師であったり、先輩であったりするのですが)のもと、伝統といえるほどにしみついた規則にのっとり、それでいて必要なときには対等に言い合うこともある、スポーツで鍛えられる等々、硬軟混淆した数年間を過ごす中でそれらは身についてゆくのです。

著者も書いているように、社会の仕組みはもちろん、伝統でさえ、長年の内には変化します。パブリックスクールが出来た中世末期には、教育を、閉ざされた教会などの世界から、より開かれた民衆(とはいえ、限られた階層に向けてでしたが)に開放される必要が出てきて、文字通りパブリックになったのですが、今や、パブリックという呼称は形式的なものと化しています。こうした時代の変化もあることを考えると、本書で描かれる教育も絶対的な規範とは限らず、著者が留学した大正末期の姿であることを理解しつつ、しからば現代にはどのような教育像がふさわしいか、普遍と可変を見極めた読み方が大事なのではないか、と思うのです。

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