小説への序章―神々の死の後に  辻 邦生(著) 河出書房新社 (1974/06/20)

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辻邦生文学のまさに序章,  
2013/8/11

「本書は小説研究であるとともに、筆者の小説創作のための見取り図であり、方向探知のためのノートであり、書くことの根拠についての確認であ」って、「小説空間の探索への起点」である、と著者は本書の「あとがき」に書いており、本書を読了して、当然のことではあるが正にその通りと合点がいくのである。

最初のフランス留学(1957年9月4日発〜61年3月3日帰着)のうちから方向探知がはじまり書きためられ、帰国後(1961年)に『近代文学』誌上の発表を皮切りに、その他の雑誌を含め発表、書き継がれたものに補筆され、1967年に公刊されたのが本書初版である。留学中の思索などを記した『パリの手記』などによると、本書の中心的論点は、留学中にまとめられていたようである。

第1章において、20世紀前半の文学で小説形式の追及が試みられたとして、それをみることを通じ物語の復活の可能性が追求される。次いで、「神は死んだ」といわれる状況から、現実の中に事象の典型を探し出すことの意義が論じられる。同時に内面への転換から歓喜と創造の在りようが検討され全体像の形成が論じられる。書くことの不可能性の克服につき、プルーストと全体性への視点から、視点の転回、新たなリアリテ、時間の克服と創造などを通じ考察される。小説形式に関し小説空間の意味が問われる。ディッケンズを取りあげて映像とはどうあるべきかが問われる。そして、最後の第8章で、終末論をトーマス・マン『ファウスト博士』に依って検討して本書は終っている。かくして、書くことの不可能性を克服し、現代が要請しているところの小説の意味とそのもつべき時空間構造など、つまり「書くことの根拠」と「見取り図」「方向」を示すところに到達している。以上は、勿論、特徴点を並びあげたに過ぎず、実際は、もっと豊かに緻密な論考が続くのはいうまでもない。

辻邦生の最初に公刊された短編が1961年9月の『城』であり、最初の長編は1962年から『近代文学』誌に連載が始まった『回廊にて』である。短編では、上記より先に『見知らぬ町にて』が書かれている(1967年発表)。それらを読むと、まさに、本書で確認された「書くことの根拠」と「見取り図」「方向」をもってして、それら作品が書かれたことがよく分かる。その後の小説にも、しばしば、この序説に言及されたことの進化をみてとることができる。

ついでに付言すれば、没後に編集・出版された『言葉の箱−小説を書くということ』において展開される文学論を読んでみると、本書における複雑性と韜晦さ、それらには、当時、ヨーロッパの知性に影響を及ぼしていた実存主義の影響が大きいのだが、それらに目がゆくこととなり、両者の連続性と断絶とがうかがわれ、晩年に至るまでその純化、洗練、普遍化が追及されたことが理解される。その意味で、本書はまさに「序説」なのである。


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