資本主義の現在、その危機の根源と問題の核心

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今、日本社会を閉塞感が覆っているといいます。世界を覆っているといってもよいのかもしれません。その問題点を考えて見ようと思います。そして、では、その先どうか、の糸口なりと見つけられると良いと思います。

そのために、戦後、世界大戦からの復興を、一応のスタートラインと考ええ、歴史を大雑把にふり返ってみようともいます。戦争直後、痛めつけられた都市、工業や商業、流通や農業、すべての産業が生産を回復させようと、生産力の増強を図るに一生懸命でした。人を集め、資金を集め、物を集め、知恵を出して生産を起こし、産業を作り出し、そうしたなかで、生活物資をはじめとして、物が回り始めました。豊かでなかったけれど、豊かになるんだという目標がありました。中には、抜け駆けをしようとか、チョットだけだからインチキをしてお金を貯めよう、などと思う人もいたかもしれません。中には、大金を儲けようと博打まがいの勝負に出るような人もけっこういたに違いありません。しかし、いずれにせよ、当時は、夢がいっぱいあったのです。

日本のことを考えてみましょう。日本経済は、戦後の農地改革、そして何よりも朝鮮戦争の特需に負ぶさって復興を進めました。池田内閣の所得倍増計画あたりから高度経済成長は活気づきます。その時代、特に労働力を確保することに力が入れられました。農村からは、農業構造改善事業による規模拡大などで溢れ始めた労働力が、出稼ぎをはじめとして都会へと流れ始めます。若年労働者として、中卒は金の卵として都会に送り込まれました。工業高専は、中研技術者集団を送り込みます。都市近郊の農地も工業用地、住宅用地にと変わって行きます。家庭電化製品は、洗濯機、掃除機などを全国の主婦層に提供することで、労働力として動員可能とし、やがて農村地帯周辺における労働力を生み出すことになります。都市でも多くの女性パート労働量を生み出しました。農業機械の大量出現は、兼業労働力を生み出します。

農業政策、公共事業、技術革新、教育政策、土地開発などが、一体となって、経済成長を推し進めたわけです。その中で、労働問題が生じ、運動が高まることにもみられるように、低賃金、長時間労働などによる分配競争が展開され、資本の側に、多くの資金が蓄えられ、いろいろな形で運用され、経済成長を推し進めました。技術革新は、労働密度を高めつつ、高利潤を生み出すこととなります。いわゆる剰余価値率はぐっと高まったものと思われます。

そうした流れがどこでも展開されると、当然、競争が厳しいものとなってゆきます。低賃金やただ働きは、労働者の権利意識の高まりと共に減って行くこととなります。技術革新も一層新たな分野へ、より高度な科学的知識を要求されるものへと変わってゆきます。それらを首尾よくこなし利潤を上げることは、大きな会社ほど有利になりますから、企業の統合などがおこり、いわゆる独占企業が生じて行きます。おのずと寡占ともなってゆきます。

その時代、つまり、70年代後半以降でしょうか、資本の側は、労働界の取り込みを強化します。それまでも、いわゆる階級的労働組合が、労使協調組合に変わっていくことが進んでいましたが、その背後には、企業の労務管理政策の変化があったわけです。この時代になると、その動きは政治的背景を伴って、一層、強力になり、日教組、国労・動労などに対抗して、いわゆる第2組合の強化が図られ、やがて、ナショナルセンターとしての連合の誕生となります。以後の労働運動は、いわゆる闘う姿勢をなくして行きます。それが、健全な労働組合などと呼ばれました。その後の賃上げは抑えられて行きます。

さらに事態は進みます。70年代末から、世界的に新たな「自由主義」経済を求める動きが始まり、それは現代までつづくこととなります。その象徴が、イギリスのサッチャー政権の登場でしょう。小さな政府、市場原理の拡張、民衆への自己責任の押し付けなどが展開されます。金融界の再編などに見られる経済構造の変革が進められます。その動きは、アメリカに、ヨーロッパ大陸に、やがては日本にも押し寄せてきます。

同時に、グローバル化と呼ばれる展開も見られます。日本は、従来から、資源小国故に、資源輸入製品輸出の経済が大きなウェイトを占めてきましたが、ますます輸出産業に経済の多くを依存するようになって行きます。さらに、労働力市場を海外に求める動きも強くなって行きます。電気製品、自動車がその代表選手でした。その分野は、競争を極限まで追及し、上記、戦後経済構造の典型的構築が行われた分野でした。それが、低コスト生産による競争力ある製品をもたらし、輸出競争力を強いものにしていました。

金融ビッグバンといわれた構造変化は、たとえば、庶民の貯金を世界の金融市場に引っ張り出しました。銀行と証券会社の違いが見えなくなり、低金利を背景に庶民金融が否応なしに展開され、知らない間に、多くの国民が投機マネーの片棒を担がされることにもなりました。

ヘッジファンドという得体の知れない経済体が、世界の金融市場を駆け回り、市場原理を錦の御旗にして金融規制の必要性を説く声を蹴散らして、つぎつぎに新しい金融商品なるものを考えだし、リスクさえも金もうけの手段とするような経済が世界を席巻しているように見えます。世界中の多くの国や地域で、金融危機が叫ばれていますが、有効な対策を打てずにいます。WTOとか最近のTPPなどはこうした動きの一部だったのかと、今になると思われます。

他方で、実体経済は隅に置かれたまま、景気の上向きもみられません。多くの国で、経済格差がひろがり、失業・貧困など、古典的資本主義の病弊が幽霊のように現れ出ています。欧米では、格差の一方を占める大富豪からさえ、富豪から税金を取るべきだ、という声がでる事態なのです。

ソ連が崩壊した頃、資本主義バンザイといわれた事態は、一時の幻想に過ぎなかったように見えます。考えて見ると、われわれは、まさに正真正銘の資本主義にとっぷりと浸かって生きてきたのであり、それ以外の何ものでもないのです。それに対するに、ケインズ流の修正資本主義は、高度成長ステージにはまだ有効な面もあったように思いますが、その後の、格差社会や投機マネーにかき乱される現代型問題群にはどうすれば良いのでしょうか。

私などは、若い頃は特に、社会主義が来たるべき社会であろうとかなり漠然と将来像を描いていたように記憶するのですが、いろいろ経験し少しは勉強した今、さて、世界に明るい未来があるのだろうか、と改めて考えることが多くなってきました。最近思うことは、以上見てきたような社会の姿は、まさにマルクスあたりを中心に解き明かされてきた資本主義の姿そのものであり、彼らの指摘した問題点も、そのまま、現代の問題点であることが見えてくるのです。

それを要約すれば、結局、資本主義が利潤追求の社会であることは自明であり、そこに必然的に存在するのは、生産がどんどん社会化してゆく反面で、所有が個人に委ねられ続けるという資本主義の基本的矛盾なのです。結局は、それをどう解決し、止揚するのか、という問題が厳然と横たわっているのです。その矛盾をそのままに、資本主義社会が、格差や投機マネーに片寄らずに、実体経済を置いてきぼりにせず、冨を生み出し働いている庶民が幸せになることを可能にできるのか、という問題です。それとも、マルクスのいうように
共同的生産手段で労働し自分たちの多くの個人的労働力を自覚的に一つの社会的労働力として支出する自由な人々の連合体」(『資本論』第1部,第1篇,第1章,第4節より)を考え出して作らないとどうにもならないのか、という問題も同時に考える価値がありそうです。

他方に存在する問題は、その根本矛盾を解決するとされる社会主義社会が、ソ連型とは違う道筋を用意できるのかどうか、ソ連と違う社会主義の姿をどう描くのか、そういう問題です。ソ連は、ツアーリという絶対主義王制であったロシア帝国の、世界一過酷といわれた人民支配を打破した一連の革命を短期間に経験して、10月革命を機に誕生した労働者階級を主体とした政府でした。しかし、その後の歴史に出現したのは、一般にいわれてきた社会主義のバラ色社会とはまったく違う恐怖政治の支配する官僚国家でした。粛正、他民族支配を含む領土拡張、広範な自然破壊、それらを要因とする経済停滞など、先人が説いてきた社会主義の姿とは全く異なる偽社会主義でした。その歴史の総括は、十分行われたようには見えません。これは、人類にとって現代の課題のひとつです。

それらと違う、すべての働く人々が幸せになる社会を描くことが出来るのか。何によってそれを保証して、資本主義の基本矛盾を止揚できるのか。そこへ導く指導者は誰なのか、そういう人物がどう出現するのか。それやこれや、いろいろな角度から、改めて考えて見ることは、誠に現代的、未来的な課題であり、現代の問題の核心ではないか、と思うのです。

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