樹の声海の声
  辻 邦生(著) 朝日新聞社(1982)

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明治中期、ブルジョアの家に生まれた女性の半生記,
 2016/01/31

明治中期、ブルジョアの家に生まれた女性の半生記。単行本では上中下の三冊です。

彼女(逗子咲耶;ずしさくや)は、資産に依存した高等遊民のような生き方をします。日本でもヨーロッパでも貴族をはじめいろいろな階層の人々と交り、好きなことを学び、好きなことに取り付き、苦労もするのですが、多くの男性との付き合いを経て最後にはひとりのポーランド男性にたどり着きます。ポーランドでは戦火を潜り抜け、ぎりぎりの経験をしつつ帰国を果たします。

そうした半生を通し、彼女は、真の愛について深く考え続けますが、生きることは大変なこともあるが本当はすばらしいのだ、ということを知ります。特に、人間も自然界の大きさに抱かれ生かされていることを知り、自然の循環に沿ってゆっくり生きることが基本だ、と多くの体験を通して気付くのです。日本は、西洋に追いつくことばかりを追い求めてきたのですが、日本の良さもしっかり見なければ、と思います。彼女は、永遠の真理を求め歩いたのでした。この先の人生も知りたくなります。

あらすじを、巻ごとに記してみます。

(上):
 主人公逗子咲耶は、若き日のパリ滞在ノートを見つけ、それを見ているうちにわが半生をふり返り始めました。以下がその物語です。
 咲耶は、明治30年生れですが、当時としては自由な気風の家庭で、自然にも文明にも書物にも頻繁に触れながら幼児期を過ごしました。小学校に入り、やがて学習院女子部に編入されましたが、チフスにかかり休学します。その間に田舎の環境に親しみます。義兄の川村からは、特に文学のこと、『白樺』とそのグループを知ることになります。学習院は中退しましたが、叔父と渡った北海道では鰊漁などを見聞し、大自然の力、それと人間との交歓などを感じとります。肺尖カタルが見つかり熱海で静養しますが、その間に、箱根への徒歩旅行なども経験します。やがて、父を安心させようとの一念から川路利明と見合、結婚となります。長崎へ転勤の機会にフランス語の勉強などを始め、北海道で会った有島武郎夫人安子の遺著『松むし』をよみ感動します。東京に戻ってから、良人の不義が発覚し苦しみます。結核にかかり、懐妊が分かったのですが、結局中絶してしまいます。徳川頼貞の作った音楽堂、南癸楽堂での音楽鑑賞が心の慰めとなりました。

(中):
徳川家の舞踏会に参加するようになり、南癸楽堂の音楽会をも含め、外国人との接触が増えます。兄尚武(ひさたけ)は、生物学研究のため渡仏します。尚武は、父民嘉の病気で帰国します。咲耶は、ブレナン大尉、インド人のマスードなどと交際します。父が死んで葬儀の日、咲耶は川路家の厳しい視線に苛まれます。その夏は、富士見に避暑に行きましたが、そこの自然や学生などとふれあい、いろいろと深く考えるなかで彼女は再生を果たします。有島武郎の心中事件にはショックを受けます。関東大震災に遭い、落合の自宅も崩壊します。川路から、欧州行きの提案があります。その間にうまく撚りを戻せないか、という思いらしいのです。結局、解せなかったら離婚するという条件付きで受け入れます。途中までマスードが同行し、別れ際に宝石箱を託されます。アラビアの珍しい様子を垣間見ながらマルセイユに着き、見物の後、ローマに赴きます。パリでは、留守中の貴族の館を宿にします。そしてロンドンへ。ロンドンから船旅でインドに行き、ハイデラバードを訪れます。そこでは、熱帯の暑さのほか、貧困や後宮のことなどを見聞します。石窟寺院では、新しい生命観、宇宙観を植え付けられました。帰国後、日本の見直しを迫られましたが、同時に、川路との交渉が始まり、ようやく離婚に漕ぎつけました。パリに行っていた尚武の研究が軌道に乗り、咲耶も渡仏することになりました。

(下):
パリで咲耶はトルネー先生から本格的にフランス語を学びます。マスードの訪問があり、尚武はドイツ人のマリアと婚約をします。咲耶もドイツの昨今に触れ、他方では、自由に生きているという気分を自覚します。マスードから再度宝石箱をもらいます。旅行に行ったスイスの山で、ハンスがプロポーズしようとした矢先、高山病にかかってしまいます。ロンドン訪問中に、加山が彼らの資産を使い込んだという報が届きます。そのため、尚武はマリヤとの婚約を破棄します。咲耶を愛していたジュリアンが飛行機のテスト飛行中、墜落して死亡します。そんな頃、ポーランドの従兄弟たちと知り合います。歳下のヤンと親しくなります。ヤンは、そのことをワルシャワに知らせにゆきますが、結婚には、ヤンたちホイェツキ家の呪いや宗教上の障害がたくさんありました。咲耶が受洗し、それらを何とか乗り越え結婚式を挙げます。パリに新居を持ったのですが、ワルシャワに引っ越します。歓迎された二人は、叔父たちのいるリセボへの船旅や、そして咲耶は乗馬体験をします。新居を日本風に変えたりします。義姉妹の身の上に不幸が襲います。世間では、戦争への動きが加速し、空襲が激しくなり大使館へ避難しますが、爆撃も激化し、ヤンは負傷し神経症が昂じます。ワルシャワは降伏し、ヤンと共に日本帰国を決意します。種々の困難を乗り越え鉄道でナポリに到着し、やがて神戸に上陸できたのでした。

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