清盛、西行の時代から現代をみる

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NHK大河ドラマは、今年(2012年)、平清盛を取りあげています。その時代は、貴族社会から武士社会への移り変わりの時代ですから、今から、とくにテレビドラマにしてみると実にドラマチックな時代に見えてきます。清盛と西行の生れた年は同じ、1118年です。ですから、ドラマには西行も登場します。清盛、西行の時代は、激動の時代ではありますが、現代の時間の速さが違うということなのか、激動も結構長く続いたように見えます。

世は藤原の摂関時代に翳りがみえ、院政が登場するのですが、院政で天皇が力を盛り返したのではなく、激動は収まらなかったようです。いろいろな矛盾は形を変えつつも継続したのです。変化はいろいろあって、特徴ある動きとして、農業だけでなくいろいろな産業が全国的に展開を始め、畿内だけが栄えるのでなく地方も元気になっては来ました。鎌倉、平泉の発展はその象徴でした。中央に構える天皇を中心とした貴族の社会から、地方における武士達の社会への移り変わりも徐々に進んでいました。

白河上皇から始まった院政の時代だけでも鎌倉幕府が打ち立てられるまでほぼ100年かかりました。清盛、西行の時代は、その真っ只中です。この時代、京都は度重なる大火、洪水に見舞われ飢え・疫病がひろがります。大地震も起こります。鴨長明の「方丈記」は、少し時代が下りますが、そこに描かれた天変地異と乱世のありさまは、既にこの時代にも京回りでみられたのです。結局、鎌倉、南北朝と激動の乱世はつづき、室町時代に至り、少し形相が変わりますが、やがて戦国時代となります。そして、本当に落ち着きを見せるのは、江戸時代になってからだったのです。

ひるがえって現代。現代を乱世というかどうかはともかく、変化の時代に差し掛かっているのではないか、と思えるのです。それも世界的規模で変化が見え始めているのです。

20世紀は戦争の時代でした。いわゆる帝国主義の時代が崩れてゆきます。歴史上はじめての世界戦争、再びの世界戦争を経て、米ソの帝国主義が強化されたように見えますが、他方で、植民地の解放が進みました。社会主義国の誕生もありましたが、その多くでは、その偽振りが際立ったため、世紀末にはソ連とその衛星国の瓦解という結果になりました。伝統的な資本主義諸国では、格差の広がり、つまりごく少数の富裕層の増加と他方での貧困の拡がりが特徴となり、同時に財政破壊が懸念される国も増えています。福祉の後退、地球規模の環境破壊も進んでいます。

現在、アメリカ、日本など、相変わらず戦争をしたい国が散見されるものの世界的には平和勢力の着実な前進が見られています。そうしたなかで、新たな社会への模索が始まっているようにみえます。先進国の困難をどう変えるかの模索も始まっています。99%によるオキュパイ運動は、先進国における模索の典型でしょう。少数の大金持ちや権力者が力を振るうのではなく、多数者がみずから社会を担おうとしているように見えます。国ごとに見るならば、途上国が、従来のアメリカ、ヨーロッパによる世界支配をぬけだし、自ら新たな社会を作ろうと頑張っています。G7などといって経済大国が集まっていた時代から、G20などを経て、最近はG192などという言い方も聞かれるようになっています。東南アジア諸国の結束と発展、ラテンアメリカ諸国の結束と発展は、めざましいものがありますし、それら諸国が平和な社会において経済の発展、生活の向上を実現しようとしています。そうした動きは、21世紀の大きなうねりとなる予感がします。

清盛や西行の時代、激動を繰り返しながら、新しい世の中を少しづつ生み出してゆきました。時代が変わり、その姿形は変わったとしても変化と新生は必ずあるわけです。現代、それがどの方向へ向いているかといえば、20世紀から21世紀への変化をみれば、上でみたように、戦争ではなく平和への流れでしょうし、少数の支配者ではなく99%を占める民衆が大切にされる方向への流れでしょう。私たちも、そうした流れの中で新しい社会像を実現すべくそれぞれの持ち場においてその歩みを進めたいと心から思います。

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