政界の混迷から抜け出すために

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最近の政界の混迷を起こさない最も有効な方法は、小選挙区制を廃止することだろうと思われます。現在の小選挙区比例代表並立制のもとでは、3割の得票で3分の2の議席を得ることが出来ます。その結果、民意を反映しない政治が展開されるのです。しかし、その廃止は今すぐ出来ることではないので、それが可能な状況にもって行くために、今、何が出来るのかを考えてみようと思うのです。

国家権力というものが、第1に民衆、つまり自分たちのためであるべきだというヨーロッパなどでは広範に常識化しているような意識が、日本では極めて薄いのです。これは、歴史上、民主主義革命と呼ばれるところの経験をしていないことによるのではないか、と考えられます。欧米の歴史と比較してみましょう。アメリカの独立宣言、南北戦争とリンカーンの奴隷解放宣言といった歴史、フランス革命、イギリスの一連の市民革命などから始まるヨーロッパの歴史などを思い出し、それと日本の歴史、たとえば明治維新でも良いですから、それと比較してみましょう。すると、見えてくることがあります。明治維新はやはり武士の勢力争いであって、民主主義革命というには民衆の参加があまりに少ない。そして、その後につづいた自由民権運動は、明治政府によって弾圧され、その後は富国強兵をいっそう徹底させた思想統制のもと、戦争を遂行する歴史へと進んでいったのでした。戦後、民主的制度を作り上げたとはいえ、それはGHQの力が大きく寄与していて、「人民の、人民による、人民のための政治」を作る仕事は不十分なままに進行しました。それが、新憲法は押しつけだといわれるもとを作っている反面で、民衆が自ら権力を作ってゆくという意識が未成熟なままに現在に至っている要因だと考えられます。これが、民衆の民主主義意識に関する歴史の最も太い流れではないでしょうか。

その流れは、選挙の時も、政治家や政党を選挙で選ぶときも、民のための政治という意識が薄いため、何のために議員を選ぶかが明確でなく、いわばだまされやすい状況をもたらしています。そういうことを何十回となく繰り返す中で、選挙は民主主義の実現ではなく、金主主義を実現する結果となってしまったのです。誰のための政治か、といえば、お金をたくさん政治家に提供する人たちのための政治になってしまって、汗して働く人たちのための政治では決してない。今の自民党も民主党も金権政治をしている点では大同小異です。

しかし、考えてみれば企業献金というものがあること自体おかしな話だと思うのです。投票は、個人がするにもかかわらず、政治は献金をたくさんしている企業のためにもっぱらなされているのであって、選挙民個人のためは二の次、三の次なのです。いろいろな政治腐敗の多くは、この矛盾からきているのではないでしょうか。企業献金がある政党の多くの議員をたたけば多少の埃が出るのには根拠があるのです。

有権者が、そこらあたりを見抜いてくると、政権側は、それを何とかごまかそうといろんな制度を工夫します。小選挙区制は、その極めつけです。選挙を繰り返す内に、小政党がますます小さくなり、少数の、実際には一つか二つの政党が多数を占めるようになる選挙制度です。2大政党による政局の交代を実現するといううたい文句も、大きくなるのに企業献金がものをいう中では、大企業を基盤とする政党が大政党にきわめてなりやすい。小選挙区制を初めて導入した細川内閣の時代から10数年の間に、まさにそういう状況になっているのです。

それを打ち破る力が、今の日本にはないのでしょうか。それを見つけるために、最近の選挙がどうなっているかを、振り返ってみましょう。すると、気になるところが見えてくるのです。

多くの選挙民が表面的なムードで投票しています。情報源は主にマスコミです。マスコミ、特に民間テレビ放送は、視聴率を上げることでスポンサーの要求に応えることを最大の指標として番組や記事を作ります。NHKにしても民報に負けじとすれば、民報的なテレビ画面を作ることになります。視聴率という亡霊の仕業です。選挙はそれに依存するところ大です。選挙民の眼が、それに支配されている内は、小選挙区制の弊害を打ち破れそうにありません。それを打ち破ることはかなり難しいことですが、打ち破るためには、まず、選挙民が、候補者と政党について、自分の眼で政策と実績とをしっかり見て評価することが大切でしょう。マスコミといえども、2大政党のおもしろおかしいところのみを報道するかといえば、必ずしもそうではなくて、大政党の都合悪いこともおもしろおかしくではあるが報道するし、小政党のことも報道する。選挙公報は、それぞれの主張を書いています。しかし、しばしばウソを書くことがあるので要注意で、普段何をしているかを出来るだけ見ていないとだまされます。口より行動を見なければならない。それらのなかから本質的な情報をピックアップすること、です。要するに、候補者や政党を普段から公平に見る眼を養うことが大切で、極端に言えば、それに尽きるといえます。

そして、小選挙区においては、良い候補が見つかった場合にはその候補に入れればよいが、問題のある候補には入れず、良い人がいなければ白紙投票することも権利行使の一形態だと思います。もうひとつ、今の選挙制度の下で、比例代表部分は、政党を選ぶ上では民意を正確に反映するのでとても良い部分と考えられます。当面この二つで、意思表示するしかなさそうです。

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