雲の宴(上・下)
  辻 邦生(著) 朝日新聞社(1987)

                                                 辻邦生の目次へ
                                                 
辻邦生の数少ない推理小説、サスペンス風小説,
 2016/10/17

1985年から87年にかけ、朝日新聞連載を、次を楽しみにして読んだ記憶があるのですが、新聞連載ですから、時にスキップしたり、何よりも長い連載だと筋書きからして記憶に残らないところが出ます。そこで、今回、単行本で通して読み直してみました。

まず、あらすじを記します。

この小説は、東京のある大学の新聞部の先輩、後輩の冴子、敦子という若い女性を中心に話が進みます。敦子は、ニーチェの「ツァラトストラ」の本を拾い、同じ会社に勤める郡司がその本の持ち主と分かり彼にそれを届けます。それをきっかけに彼らは次第に親しくなってゆきます。他方、冴子は、夜にだけ現れる不思議な男、評論家の瓜生と知り合い、やがて妊娠を知ることになるのですが、彼女は、世間並みの結婚を望みません。敦子は、郡司と結婚することとなるのですが、彼に別の女との間に子どもができたことが分かり破談となります。郡司と瓜生とは同一人物だったのです。冴子は、交通事故にあいこどもを流産し、自ら死を選びます。残された敦子宛の手紙は友情に満ちたものでした。アフリカのセレール共和国でクーデターが起っていたのですが、郡司がそれに関わっていたのです。郡司はセレールのウラン資源を得ようとしていたのです。その頃、アフリカに行っていた敦子たちも拘束されますが、クーデターは失敗し、敦子も郡司もセレールから脱出します。敦子と郡司は、冴子が瓜生宛に残した手紙で、彼らが幸せになるよう願っていたことを知るのでした。

ここからが、レビューとなります。

この本は、辻邦生の数少ない推理小説、サスペンス風小説で、手に汗を握りながら読むこととなる本です。全体を鳥瞰しつつ細部を描く、という辻の理論を実現しやすいのは推理小説である、ということも辻は書いています。その典型的作品です。

まず、サスペンスでしばしば描かれるクーデターとか革命につき、辻がこの作品の中で書くところを見てみます。

「郡司は、クーデターにすべてを賭けている。・・・・・・武器を使うということ、人を殺すということは、それが、どんなよい目的のためであっても、残忍さを含んでいる。だが、人間は、残忍な心で、よいことを考えることができるのだろうか。すみれの花に心を喜ばせながら、赤子の胸を銃剣で刺すことができるのだろうか」

郡司は、こんな葛藤をときどきおぼえるのです。アフリカなどは、社会に民主主義が稔りを見せていない国が多いですから、政権を変えるとなると武力に訴えることとなることが多いのですが、辻は、この作品に限らず、民主主義的革命の道を考えることをほとんどしていません。「雲の宴」の中ではミッテランが大統領選挙に勝つ場面が描かれるのですが、これを革命のプロセスと考える場面は出てきません。辻の頭のなかでは革命といえば武力革命となっているのかもしれません。

つぎに、サスペンスとは限らず、辻がしばしば扱うテーマに、現代文明批判があります。その時、辻がもってくる対称地点に、たとえば、つぎのような議論があります。

パリの(クリュニー)美術館で一角獣の壁掛けを見た時のこと。「この一角獣の織物は、もともと静かな森の奥の城館に飾られていたものだ。そしてその時代には、城館のまわりで、人々は日時計に合わせて農耕を営んでいたのだ。機械の騒音もなければ、多忙な社会もない。人々は季節のゆっくりした歩みに身をゆだね、大地の恵みを信じて生きていたのだった」

しかし、このような世の中を現代においてどう築いたら良いか、については、たとえば、「人間は物質に囲まれて満足するのではなく、それを超え、神に似たものになろうとしなければならない。人生を高貴にする力を追い求めなければならない」といった主張を述べるあたりで留まっているのです。これでは、ほとんど同義反復で終わっていて、具体的な見通しには全くなっていないのです。個人の心の持ちようの問題といわれても仕方ありません。辻は、この課題についてどう思っていたのか、エッセイなどをも含め問題意識を持っておさらいする必要がありそうです。

辻邦生の目次へ
図書室の玄関へ
トップページへ