戦争廃絶へ、人間復活へ - 九三歳・ジャーナリストの発言

    むのたけじ 、聞き手 黒岩比佐子  岩波新書  (1998/7)

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孤高のジャーナリストとともに時代に希望をみる,   2008/9/2                                    

むのたけじさんといえば、孤高のジャーナリストというイメージが強い。小生の頭に浮かぶのは、戦後、朝日新聞を自ら辞して秋田県横手で「たいまつ」を発刊し、権力にとらわれない情報と主張を発信し続けた、という姿である。そこには、少なくともふたつ、不正確なところがあった。朝日新聞社を辞したのは「戦後」ではなかった、と本書で知った。8月14日のことだったという。あとひとつは、「たいまつ」の刊行は一九四八年から一九七八年とのことだから、「たいまつ」時代は、むのさんの人生の中間の三分の一=三〇年間にすぎず、休刊してからも三〇年が過ぎているのである。

さて、本書は、九三歳のむのさんがその人生を振り返り、どのようにしてジャーナリストになり、戦前戦後を生きてきたか、それをその時々の社会の動きとの関連で振り返り、未来に向けて何が大切かを語った書である。

上記の小生のむのさんのイメージは、まことに貧弱で、それにひきかえ本書で語られるむのさんの生き様は、まことに豊かでドラマチックで一般人の生きる上での示唆にも富んでいる。志は、老いても衰えることなく高きをめざす。孤高のジャーナリストには、えてして誇り高いところが目について、近寄りがたさを感じてしまうことが多いのだが、それは思ったほどでない。最後の方で、毛沢東やレーニンを斬るほどに歴史を手厳しく評したり、憲法九条の意味について時空を越えて考え、戦争の廃絶を自信を持って語るのだが、その反面で、むのさんは、この本をすらすら読み進めてしまうのではなく、曲がり角や要所で立ち止まって、むのは三丁目にいったが私なら一丁目に行く、という風に、むのを叩いてほしい、といっている。庶民とともに学ぼうとする姿勢である。「絶望のなかに希望はある」は、第六章のタイトルであるが、小生の場合、本書を読んだあとに、そのことがいちばん強く心に残ったのである。

むのさんの人間像をうまく引き出してくれた「聞き手」の黒岩さんの努力にも感謝したい。


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