中国で砂漠化に挑み村おこしをする知人

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中国が抱える環境問題のうち砂漠化に関してはしばしば報道されていて、国土の2割を超す面積が砂漠化した、と言われた時期もありました。最近は、植林等の対策が進んできてかなり収まってきたとの報道もされます。

砂漠化は、いろいろ定義があってむずかしいのですが、問題の核心は、過度な土地利用による土壌・植生の荒廃にあるとされています。中国でも、農牧などの開発により植生が減少し土壌が露出し回復が困難な土地が増えて来ました。ですから対策の中心は、農牧を行いながら、いかにそれらを食い止めるか、におかれることが多く、各種風食防止策や植林などが行われています。日本も、実態把握から対策まで、いろいろな形で協力して来ました。

そうした協力に携わっている長濱直さんという方がいらっしゃいます。日本沙漠学会というところの仕事で嘗てご一緒させていただいた方です。彼は、永年勤めた大企業の部長さんをおやめになって、砂漠化の最先端である中国の村を拠点に、砂漠化防止の仕事に飛び込んだのです。バイオビレッジ構想というものを実践してみようという、個人にとってはとても大きな仕事です。

彼の現場は、中国の内蒙古自治区通遼市庫倫旗(クリンき)額勒順(ウルスン)鎮。ここは、かつては満州国興安南省の一画でもありました。現在は、内蒙古自治区の東南端に近い場所で、砂漠化地帯としては、日本から一番近い個所にあたります。とはいえ、成田から瀋陽に飛行機で飛んで、その先、自動車で4時間半もかかるところです。北京からだと、夜行列車で通遼まで約12時間、そこから車で2時間半だそうです。



 
バルーン(A)がウルスン鎮です

長濱さんは、1995年からこの地に通って、砂漠化防止を中心にいわゆる村おこしの活動を続けたのです。バイオビレッジ構想は、私の解釈によれば、その土地の生態系の働きを認識してそれを生かすことで沙漠化しない土地利用法を中心に村おこしを実現しようというものです。ですから、植林とか飛砂防止策などの個別技術の導入で良しとするのではなく、教育・文化などを含め、人間が自然の摂理を踏まえて生きてゆくということを考え、総合的にそれら技術の効果を定着させようというものです。それを推進するため、日本バイオビレッジ協会を設立しました。

長濱さんは、初期の活動の中から環境教育の実践普及が大切だと気づき、日中環境教育実践普及センターを開設し特に若い人たちへの実践的な環境教育、人材育成への援助をしてきました。たとえば、環境教育林を作って、砂漠化防止をしながら環境教育の普及に努める活動を続けてきました。専門家の力を得て牧畜獣医教室なども開きました。日本の礼儀作法の紹介も行っていると聞きました。それらをはじめとした活動は、いろいろな効用を発揮し、地域からの表彰も相次いだと聞いております。地域の中学校は、国家級緑色学校に指定されたとのことですが、それにはこれらの活動が大きく関係したことでしょう。近年は、中国の経済発展とも相俟って、地域の発展に大きく貢献しているようです。

今年(2010年)の活動報告の中で、長濱さんは「ウルスン鎮もこんなに変わりました」と書いておられます:「待望の鉄道駅が建設中」「庫倫旗からウルスン鎮まで35分、通勤圏内に」「ウルスン鎮での車は急増」「ジープから普通車へ、『本田』『鈴木』の看板が出現」「電柱は木柱からコンクリート柱に」「高圧線は末端まで延び、電気が通る」「携帯電話とパソコンやデジカメの超普及」「メイン通りは今も建築ラッシュと街路樹づくり」「関係者に日本へ行っている人が多い!」「緑化は大いに進みました」「生きた羊をさばくところを見て、皆で丸ごといただきました」。バイオビレッジの考え方に反することもありそうですが、それがない時とはかなり違っているのだろうと想像します。

「丸ごと」いただいたという羊のことでは、長濱さんが書いておられます:「始まる前には最後まで見ていられるかと不安でしたが、そんな気持はすぐに消えてしまいました。羊は声を出すことも暴れることもなく静かだったこと、実に手際よく終始笑顔で流れるような見事な所作に圧倒されました。羊が自然の摂理の中で淡々と生き死んでいく。羊を飼う人、さばく人各々は羊が天地に帰るのを感謝を込めて笑顔で見送る。・・・ですから私たちも天地人に感謝して有難く美味しくいただきました」。これは、バイオビレッジ構想に通じる心でしょう。

この活動は、多くの困難を乗り越えて進んできました。早い時期には、ご一緒に活動された奥様が闘病生活を強いられました。2008年は、長濱さんご自身が癌を患い、5回の入院、4回の手術を繰り返す中での活動でした。現地活動を休止せざるを得ない時期もありました。しかし、それらを乗り越えて昨年(2009年)度から、現地での活動を再開されました。今年は、上記センターの開設10年目にあたり、春先の現地訪問から初めて、特に夏期間は、精力的に現地で活動されました。長濱さんによると、10年を迎えた同センターは、将来のモデルになるような役割を果たせたとのことで、今後は、日本バイオビレッジ協会がそれをも引継ぎ、地道に活動を継続してゆきたいとのことです。

長濱さんの活動が、砂漠化防止の効果を上げつつあるだけでなく、その活動の中から、何人もの若者が、バイオビレッジの考え方のもとで育っておられるようでもあり、多くの成果が定着、普及してゆくものと期待されます。

ついでに、私は、長濱さんの優れた実践の経験が、同じように中国の砂漠化防止に挑戦している日本人の横のつながりとなって伝えられると良いのではないか、と思うのです。そうすれば、長濱さんの経験が他にも生きてくると同時に他の経験もウルスン鎮に生かされるかも知れません。多分、そうした横の連絡が待たれている実状もあるのではないでしょうか。

中国からは、遣唐使に代表されるように日本が多くの教えを請うて来ました。満州事変から日中戦争への歴史は未だに清算できていませんが、そのことも含め、日中交流はこれからも友好裏に進むべきものだろうと考えられます。それを考えますと、長濱さんの事業は、大きく讃えられ、経験として学ぶべきことが多い仕事だと思います。私は、脇で拝見するだけの立場でしたが、せめてこの頁を訪れてくださった方々に、そのお仕事を知っていただくことくらいはできるかと、この頁を作ってみました。

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