温暖化、サイクロン、地震、貧困
   

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地球温暖化を、その本質を表した正確な言い方にするならば、地球規模気候変動でしょうか。これは、温暖化問題を科学的立場から検討して世界に勧告を行うIPCCの正式名称に「気候変動(Climate Change)」と入っており、京都議定書のよってたつ条約にも気候変動枠組条約という用語が使われているように、気候変動というのがより正確なのです。その中心が温暖化であることはその通りです。

このことに見られるように、温暖化はもっと別の現象を伴うのです。そのひとつが、巨大暴風雨です。ミャンマーを襲ったサイクロンもそのひとつです。アメリカを襲ったハリケーンのカトリーヌも、近年、わが国を遅う台風が早くに大きいのが来たり、以前と何か変わってきていますが、いずれも、温暖化の結果と考えることができます。

温暖化で気温が上がると、軽くなった空気が激しく上昇し、その時、水蒸気がたくさん蒸発します。その結果、雲がたくさんできます。低気圧も発達します。雲がたくさんできるということは、それをどこかに雨として降らせます。大きな低気圧は、台風などを巻き起こすことになります。

関連して言えば、暑さが増すと熱の収支をバランスさせるためにどこかでは寒さも増します。猛暑が起こる地域があるかと思えば、厳寒が襲う地域もでるのは理の当然です。食糧危機もこれから、いっそう深刻になる可能性があります。

さて、地震はどうかといえば、これは温暖化との関係ははっきりしませんが、その被害が温暖化と関係ないかといえば、どうでしょうか?四川大地震の地域は、近年、雨量が急激に増しています。それが地盤を弱めていて、山崩れ、地滑りなどを起こしやすくしていた、などはあるかもしれません。まさか、温暖化で、地下深くの地盤まで膨張して断層を起こしやすくしていたなどというところまでは考えにくいですが。

ところで、地球温暖化は天災でしょうか。上記IPCCの報告書でもはっきりと人災とされています。だから、人間の手で、なんとかしようということになるわけです。しかし、太平洋戦争と同様に、責任を曖昧にしようとする姿勢がわが国の指導者には濃厚です。ヨーロッパなどでは、既にそれを明確にして、削減量を相応に企業などに割り当てています。温暖化の対策などの国際会議では、日本の姿勢がしばしば非難の的になったり、非難されないまでも冷ややかに扱われたりしてきました。洞爺湖サミットでは、そのあたりが試されるはずです。

なぜ、温暖化が起こったのか。いうまでもなく化石燃料の使いすぎです。発電、製鉄、セメント製造などがダントツの大口発生源です。その結果として、私たちは、快適で便利な生活を送れているのですが、これは同時に、経済活動が活発なことを表しています。しかし、経済活動が無制限に活発化しますと、歪みが出てきます。今現在、眼の前で展開されているとおり、格差、つまり貧困の拡大だったり、環境破壊だったりというわけです。そのひとつとしての温暖化です。「金本主義」とでもいえそうな金主的資本主義、つまり民の生活など、どうなろうとかまわず、どこまでもお金を儲けようとする経済は、それゆえに、人心や環境を破壊するようなことを引きおこすわけです。

経済成長は、いうまでもなく悪いことばかりではありません。そこにコントロールやルールといったものをかませて、生命、生活、環境などを大切にした経済として進むようにしないといけないことになります。地球規模気候変動は、すでに大変なところまで進んでしまっています。わが国でも、真剣に対策に取り組まれなければ孫子の時代に大きなツケを回すことになります。他国から顰蹙をかい国際競争力も低下します。すでに、日本の株は海外からの人気がありません。経団連や福田内閣は、対策に熱心ではありません。とすれば、国民が大きな声で熱心になるよう訴えなければなりませんし、本当にやる気がない政府なのであれば、やる政府に変わって貰うしかありません。

世の中の大きな出来事を通じて、その仕組みと将来の方向がとても分かりやすくなってきた昨今です。

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