パリの手記〈4〉岬そして啓示  辻 邦生(著) 河出書房新社 (1974)

                                                 辻邦生の目次へ
                                                 
全五巻のクライマックス,  
2013/10/22

 この巻は、1959年8月22日から翌1960年8月15日までです。冒頭、ギリシャへの旅が8月21日から始まっています。アテネのパンテノンでは、大きな啓示を経験し、自然対人間の厳しい関係の中からアクロポリスの美が生まれていることを理解します。9月4日にギリシャを離れ、イタリアの旅を経験し、9月13日にパリに着きます。

パリに戻って文学修行に一層熱が入ります。評論に加え小説の実作も始まります。そんななかで、ポン・デ・ザールからシテ島とポン・ヌフを眺めた時(12月7日)にもうひとつの啓示を経験します。この風景の美しさ、深い感動がどこに由来するのかを考察し、「それがフォルムとして形象され、エラボレされるのは、僕がそこに僕の無限のあるシュティムンクの象徴、入れ替えられぬ唯一性を見たときなのだ」と結論しています(1960年2月12日)。

しかし、それら大小の啓示を得た時の文章からは、想像するほどの高揚感は感じられません。その後、徐々に醗酵し大きなエネルギーと化していったのです。つまり、時間をかけ磨かれた考察がなされた後に「啓示」と認識されるのです。この巻の副題は、出版時に付けられたものなのです。

この時期、「城」「ある晩年」「影」の創作をするのですが、その経験を以て、純一な必然性のドラマを体験する場、それが創作である、と記されています。

抽象論議は、ますます多角的に展開しますが、実作が始まって、具体的な記述も混じり、時にそれらについて引用しながら論ずることもありますが、やはり形而上学的思弁が圧倒的です。

「小説論ノート」と称して各種主題につき論考を本格的に書き始めています。それらから、目についたところを、以下に摘記します:

ルカーチなどを通じ、リアリズムと「現実」の関係、小説の不可能性や「死」の思想がそこから生まれることなどを秋のリュクサンブールで深く感じたりします。日本と西洋を考えることもあります。

ある週には、小説の本質につき「エクレシア」というキーワードにより考察し、以後、その概念がしばしば使われます。

「我々」の現実という一回的フォルムを見出し、フォルムの一回性を獲得したとき、人間の全歴史、全現実を理解でき、我々は詩人となりうる、とも書きます。

クリュニー美術館の一角獣のタペスリなどをみて、本質の露呈につき考察します。本質から芸術としての一回的、個性的なものが生まれるが、下手に書くと本質を現実が覆ってしまう、と書いています。

苦悩を通して孤独を克服して主体が確立される、と記します。

無数のかげの輪郭の奥の真の「存在」、その宿命の表現、それが「形」なのだ、そのような「形」のみに、我々は故郷を見出し、「存在」として自由となり解放される、ようやくかかる『存在』の探求に、---芸術家としての真の一歩がふみだせるところまできたことは、やはり、一つのよろこびである、としてこの巻を結んでいます。

相変わらず、独仏英ラテンなどいろいろな外国語を駆使します。大学図書館、国立図書館での読書と思索と執筆が目立ちます。ある時、生活・勉学資金が払底して無心をしたりします。この時期、日本では安保闘争が展開しますが、それを新聞で知り(6月16日)、政府の醜態と愚昧について記しています。

この巻は、全五巻のクライマックスです。

辻邦生の目次へ
図書室の玄関へ
トップページへ