鶴の恩返し

コモンセンスの目次へ戻る

[恩返し」などというと古い、といわれるであろう。が、あの民話のメッセージのひとつが、「つう」と「よひょう」の信頼関係の大切さである。良い関係が家庭や社会を創ってゆくには大事であるということだとすれば、社会の中での農業と工業も同じかもしれないと思ったのである。

 昭和36年にスタートした旧農業基本法は、効率的な大型自立経営農家の創出を目指したものであった。しかし、実際は、労働力と土地と水を他の産業向けに提供し、都市には人口集中と繁栄をもたらし、農村には過疎と兼業農家とを出現させ、「ふるさと」には、今や「故郷の廃家」ばかりがやたら目につくようになった。土地の利用に関していえば、大河川の下流の平野に拡がっていたもっとも肥沃な沖積地は、かつては穀倉地帯として食糧供給の中心地であったが、今ではその上に住宅地、商業地、工場などが拡がり、多くの人々が暮らし働いている。いわば、農業の犠牲の上に、商工業が活躍する場が与えられ、わが国は経済成長を実現しお金持ちになった。そのお金で外国から食料を買うことにした。そして、食料自給率は40%と先進国の中では異例といえる低さになった。ついでにふれておくと、木材、海産物の自給率も同じレベルに低下しているのである。

 近年、これら自給率の低さを問題にするだけでなく、食の安全をもとめ、食の不透明さを憂う声、農村に活気を取り戻そうという声も高まっている。さあ、それらにどうこたえるか?いろいろ議論がされ始めているが、私は、商工業が恩返しをする必要があり、その可能性もあると考えている。

 勿論、餅は餅屋で、農業が自らがんばることは当然である。国際競争力をつける試みも展開されつつある。いろんな地域資源や技術を活用しての村おこしも取り組まれている。それ以外でも、たとえば、BSE騒動などの起こらない畜産の復権。それは、畜産業が本来持っていた特性、つまり人間が食べることの出来ないような繊維質の草をおいしい肉やミルクに変えてくれるという家畜本来の特性を取り戻すこと。何よりも自国の植物資源による粗飼料の増産である。耕作放棄水田、その他の再利用可能農地の復活でもある。これはほんの一例であり、その他、可能な道を探索して、伝統的農業の復権や新農業展開によって自給率を今より20%向上させる。アメリカの言うことではなく、日本の将来を考えて取り組めば可能、というのが識者の見解である。

 ここからが、恩返しであるのだが、工業は、その技術力を駆使して安全、安心な食料生産技術を創出する。商業ほかの産業界もいっしょになって、良質で安価な食料を流通させる道を探索し、20%の自給率向上を目指す。工業力を駆使した植物工場は、近年、興味ある進歩を見せている(農水省のホームページでも紹介されている)。農村へのU/J/Iターンはもとより、旅行会社やソフトウェア開発会社が農村にオフィスを開設したというニュースは、人を都市から農村に移す流れを加速するかも知れない。人材派遣会社も新規就農を援助するという。産業界は、農村を舞台に新しい産業を開くことも考えつつある。政府は、それをいろいろな場面において誘導、支援しなければならない。もちろん、産業廃棄物問題にみられるように規制が必要なときもあるのはいうまでもない。

 かくして、今の自給率を倍加して80%と、世界の先進国の仲間入りをする(本当は、100%を目指したいのだが、とりあえず80%でも大進歩である。ちなみに、旧農基法が作られた当時、イギリスは40%そこそこの自給率であったが、最近は75%程度を維持している)。農業と工業がバランスある関係を回復し、それぞれ得意技を出し合って、その気になれば、21世紀中葉までに出来ないことではないと思われる。発展してきた工業が、親孝行の恩返しをして、「故郷の廃家」を解消し、「ふるさと」の原風景をぜひとも取り戻したい。

コモンセンスの目次へ戻る