発見は矛盾のうちに

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スポーツでは、各チームの持てる力のせめぎ合いがしばしば感動を呼ぶ、と書いたことがある。文学においても、辻邦生は、上向する力と下向する力とのせめぎ合いが本格的な物語には必須である、と書いている。せめぎ合い、つまり、矛盾から感動が生まれるらしい。

研究の世界でもそれは同じである。新しい発見とは、しばしば常識を覆すことである。その意味では、常識と非常識とのせめぎ合いから感動的な発見が生まれる。とすれば、研究者は、すべからく常識に甘んじてはいられない。常識の裏を探索しないではいられない。流行の理論を否定してかからずにはいられない。誰もが研究していることの裏をかかなければいられない。誰もがおもしろがっていることに疑いの目を向けないではいられない。誤解のないように付言すれば、それは研究モードにおいてのことであり、日常生活モードでは常識の尊重はルールとして大切なことである。もうひとつ、それが非常な努力を伴うことも忘れてはならない。

昨年、96歳で亡くなった私の恩師は、若い時分(私が生まれる以前のことである)に「堆肥で作物を育てることは誰でも出来る、無機質肥料でうまく作れるようにしてやろう」といって、養液栽培法をマスターして作物栄養学の理論を構築し、緑の革命など食糧増産を理論的に支えた。後進には、他人の後追いではなく常識を覆すような研究を高く評価して促しておられた。

しかし、現実は、常識に甘んじて後追いばかりしている研究者が多く、矛盾を首尾良く使用して新機軸を得る研究者は少ない。だからノーベル賞のような偉大な希少価値を顕彰するシステムも存在することになる。晝馬社長の「農業は産業ではない、水と炭酸ガスを入れたらお米がチーンと出てくる機械をつくれや」という非常識には多くの矛盾がある。だから挑戦する価値があるのである。

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