殉死 司馬遼太郎 文春文庫

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無能司令官:軍神というギャップを埋める美学 !!, 2006/3/16


司馬遼太郎は「坂の上の雲」において乃木希典の戦争司令官としての無能ぶりを徹底的に描いた。しかし、時にひとは乃木を軍神と呼び、いくつかの地では乃木神社において祀りさえする。無能とされた司令官が軍神にまでなるには、無能を埋めて余りある何かがあったのではないか。「坂の上の雲」では、主役は秋山兄弟であって乃木は脇役。乃木が主役の「殉死」では、どう書かれているか。

司馬によれば、日露戦争以後、伯爵、学習院長、宮内省御用掛などを拝し明治天皇の寵を受けるまでに至った乃木の行動の規範は、山鹿素行の陽明学に源をもつ美学にあり、それがさらに長州は長府毛利家という出自の上にこの上もなく展開された挙げ句、かような英雄になり得た、という。司馬のこの解釈は、俗に言い換えれば、出自の良さに加えて、美学と言われうるまでに格好を付けた結果である、と言うことも出来る。

世に、それに近いパターンで歴史に名を残す人々は多い。しかし、司馬が描くように、無能というあからさまな評価と神にまで祭り上げられるという処遇とを併せ持つような人は、そのギャップの大きさにおいて空前絶後ではなかろうか。そのギャップを埋めたのが彼流の美学だとすれば、そこには看過できない問題がいろいろ見えるように思うのだが、読書子の読み方や如何に。


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