ロシア革命史(2)    岩波文庫(2000/09)   トロツキー(著) 藤井一行(訳)
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レーニン帰国、4月事件から6月の大デモまで,  2009/4/13

この第2分冊は、レーニンが4月はじめに帰国し「4月テーゼ」が出され、4月事件から6月の大デモまで。

この時期の主要な課題は、戦争の継続か終結かをめぐる抗争である。臨時政府とソヴェトが戦争継続を図るのに対し、民衆は、軍隊の民主化が図られるも戦争終結への姿勢は明確でない。帰国したレーニンは、「4月テーゼ」を発表し、戦争終結と革命の前進を訴える。政府が、戦争継続を推し進めることに対し、民衆はそれに反対し兵士・勤労者の不満が爆発し、外務大臣は退陣に追い込まれる(4月事件)。6月の全ロシア・ソヴェト大会において戦争継続を主張するメニシェヴェキ・エスエルとそれに反対するボリシェヴィキとの論争の最中、ペトログラードの23工場で戦争継続に反対するストが起こる。ボリシェヴィキは6・10デモを計画するが大会はデモ禁止を決議、中止となる。大会は、別に18日のデモを計画するが、その40万人によるデモが政府批判デモに転化する。

この間、急速にボリシェヴィキと民衆の左傾化が戦いを通じて進展を見る。その様子の一端を、以下に引用して例示してみよう。
「大衆は、チェルノーフやツェレテーリ(全ロシア・ソヴェトの指導者)よりもずっと左傾化していたが、まだ自分たちの急進性を自覚していなかった」(p.269)
「革命はつぎつぎに社会的矛盾をえぐり出していき、やがてそのもっとも主要な矛盾、すなわち生産の社会的性格と、生産の用具と手段の私的所有との矛盾にまでたどりついた」(p.274)
「プロレタリアートは革命の主な原動力であった。同時に革命はプロレタリアートを形成していった。一方、プロレタリアートはそのことを大いに必要としていた」(p.278) 等々

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