同級生が参院選に出馬して

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今度(2007年)の参議院選挙に高校の同級生が立候補しています。新聞などでは諸派とひとくくりにされるような政党です。その名簿の末尾近くに名前が見られます。ほぼ完全に当選はむずかしい。それでも立候補するからには、単なる売名などではなく、よほどの信念があってのことと思われます。

高校時代、私のすぐ右前に座っていた彼の回りには、黙々と勉強している雰囲気が漂っていました。いろんな本を勉強していたのだと思います。哲学者風と想像していた彼が、樺美智子さんの死をきっかけに街頭に飛び出していったのです。それから、彼の行動は街頭のそれとして始まったようでした。地元の大学に進みましたが、その大学では、当時、自称全学連がいくつもあった中のどれかの幹部をして、過激な運動を展開していました。その理想とするところは高邁であったのでしょうか、どうも多くの人々を惹き付ける運動にはなっていなかったようでした。大学にはとうとう戻らなかったと聞きました。

そんな彼が、今度は、そのグループのホームページに「反省の上に立って渾身の力を振り絞って決意した」と書いています。「反省したから再会できた」仲間が集い、新たな運動を展開しよう、ということなのだそうです。私は、彼のこの決意に注目するのです。彼の賛同人には、かつての闘士が名を連ねています。そこには、ある種のあやうさを感じてしまうのです。どのような反省、どのような決意が、それらの人々にあるのか、機会があったら是非聞いてみたいのです。

彼は、HPで「主義・主張の如何に関わらず、世のため人のため」ネットワークを組んで働くと決意を述べています。その決意はとても尊く、望まれるところが大きいと思います。しかし、かつて、やはりそのように言って内部抗争や狭いセクト同士の抗争に明け暮れ、その理由は、いつも、あれやこれや相手が悪いということでした。それらを乗り越えて大きな力を作り出す何かに欠けていたと思うのです。結果としても運動は排除の論理に貫かれていたと思えるのです。それは彼らの運動の成否にとって決定的でした。今回の「再会」と「決意」が、そのあたりをどう乗り越えたのか、具体的に聞いてみたいのです。

憲法9条2項を中心として、9条を守ることは、これからの日本の命運を左右します。孫・子にふたたびあの惨劇を経験させないためには、今自民党などが言うような改憲を決して許してはなりません。そのようなとき、国民投票に向けて、9条を守る一点で、緩いけれども広い輪を形成できれば、民衆の良識の到達レベルが十分な故に、その改憲は阻止できるはずです。阻止できないとすれば、その運動の中に、民衆の一部が運動に愛想を尽かすようなことが生じたときでしょう。70年代のような分裂抗争、とりわけ暴力的なそれは十分その原因となり得ます。そのあたりの見通しや決意を聞いてみたいのです。

彼は、当時から、とても冷静で鋭利な思考をしていたと思い出します。その後、歳をふり行を重ねたはずの彼の思考をもってすれば、排除の論理を克服し、現代に相応しいオルガナイザーたりうると思うのです。さしあたって、この選挙でどのような戦いをし、その後、どのように運動を組織するか、期待と不安を持って見守りたいのです。

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