常磐線からみた里山の風景

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常磐線で土浦から東京方面はいつも乗っているので窓外の景色は特に目新しい感じはしないが、土浦から水戸方面は何年に一度くらいしか利用しない。それ故に珍しくて子供のように窓にかじりついていた。進行方向左側の窓である。その印象を書き記しておこう。

常磐線のこの辺りは里山の風景をみるのにうってつけである。

常磐線を上野から北上すると、本当の意味での平野が牛久沼で尽きる。そこからは常総台地と呼ばれる低い丘が窓の近くに見え始め、そのうちにその台地の上を列車が走ったり、切り通しで抜けたりして土浦に至る。この台地の懸崖には、樫や榎や竹の林がつらなり、いわゆる里山の風景を作っている。それら懸崖林の下には立派な農家のお屋敷が見えたり、市街地が延びる場合もあるが、水田がいわゆる谷地田、谷津田をなして台地の奥に向かって細長く食い込んでいたりする。

土浦の駅を過ぎるとしばらく、蓮の田んぼが現れる。茨城県はレンコンの生産が日本一でこの辺りが代表的産地。ピンクの花がところどころに散っている蓮田の風景を見ながら土浦を離れるにつれて再び里山の風景がたくさん目にはいるようになる。高浜の駅は、すぐ裏が水田だが、上野を出てから駅の裏がすぐに広大な水田という風景はここがはじめてである。この水田は筑波山の麓から流れ出る恋瀬川というしゃれた名前の川が運んだ沖積土壌で出来ている。その恋瀬川はこの駅の少し下流で霞ヶ浦に流れ入る。

常磐線の西側には筑波山が見え隠れする。筑波山の手前には丘というか、そんなに高さのない山も連なって見える。石岡の街を経てやがて列車が岩間の駅を出て間もなく左側に、いかにも昔からこんな風景が変わらず続いているのか、と思える風景が目にはいってくる。背の低い山々が連なり、その麓にはそれらの山々に抱かれるように水田が拡がり、山の辺に沿って家々がかたまっている。よく見ると重厚な瓦屋根や門構えなども見える。田圃の真ん中を流れてきた川を列車は渡ってゆく。私は、滝平二郎の切り絵の世界を思い出す。あの姉と弟が遊んでいてもちっともおかしくない。彼は、この辺りの出身である。


滝平二郎切り絵回顧展(2003.1)のサイトで公開された切り絵群から1枚をお借りしました。
(http://www.japanpost.jp/pressrelease/japanese/sonota/031212j901.html)


岩間と友部の間は、まさに里山の風景である。友部からは、水戸線の線路が東北本線の小山に向けて分岐してゆく。この水戸線の沿線は、このあたり岩間、友部間の風景が多様に変化しながら笠間を経て下館あたりまでつづく。いわば、里山線である。この辺り、政治的にはまさに保守的で有名な地域である。景観の保護にとっては保守もまんざら悪くない。

さらに水戸に向かって内原に来ると、そこはかつて満蒙開拓義勇軍の少年達が開拓のための訓練をおこない新潟から満州へ渡った、その訓練所のあった場所。彼らは今で言えば里山で訓練に励んだのであった。今は記念館があって当時の様子を知ることが出来る。

イーオンの大きなショッピングモールが田圃の中に見えると後は水戸に向かって平凡な都市郊外の風景で水戸を過ぎるまで変哲もない風景になってしまう。

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