白い人・黄色い人 大活字 埼玉福祉会 (1989/4)   遠藤周作(著)

                                            宗教の目次へ

遠藤さんの神の考究への旅のスタート,  2015/5/13

ヨーロッパの倫理観、特にキリスト教とその神に対する疑問のいくつかを提示する2作です。

「白い人」の主人公であるフランス人の「私」は、リヨンを占領したドイツ軍ゲシュタポの手先となり、大学同窓の神学生などの訊問に加担し拷問します。彼の嗜虐性、神への不信などが、女中が老犬を白い腿で組み敷いた現場を垣間見た経験、両親との関係などにより育まれてきた経緯が記されます。しかし、本質的には、こうした時代のヨーロッパにおいて、キリスト教が、又その神が、いかに無力かを遠藤が訴えようとしているところに大きな意味があるように読めます。

「黄色い人」では、その課題はより具体的に扱われます。主人公千葉は、幼時に受洗していたものの、結核に冒された学生時代、すでにキリスト教の神からほとんど離れていながら、教会とその関係者の周辺に出入りします。特攻機に乗ることが予想される友人の許嫁を犯し続け、憲兵隊が神父を狙っていることを知りながら知らぬふりを通します。元神父デュランは、日本人女性を犯し教会を追われますが、彼は、ブロウ神父を憲兵隊に売り渡します。千葉とデュランとの対比により、遠藤は、悪徳とか神に対する日本とヨーロッパの違いを示そうとしているのかもしれません。

遠藤による神の考究は、この先、いっそう本格的になって行きます。この2作は、そうした考究の旅のスタートだったように、今から見れば思えるのです。


なお、「白い人」で遠藤さんは、1955年上半期、第33回芥川賞を受賞しています。

宗教の目次へ
図書室の玄関へ
トップページへ