書評のありかた

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書評文化というものが、さほど大きくはないかも知れないけれど、かなり以前から存在していたように思います。書評紙(誌)というものも発行されていて、ある程度の読者を確保していたようです。誰それの書評は、単行本にさえなっていました。単行本では、百目鬼恭三郎さんの書評が面白く、そこで評価が高い本を何冊か購入し読み満足したこともありました。とりわけ東洋文庫の本は百目鬼さんに教えられたものが多かったです。ことほどさように、少なくとも私の世界にはそれなりのウェイトを以て存在してきたのです。

最近、インターネット書店が盛んになってしばしばそこに書評が載っています。自分自身も、Amazonのカスタマー・レビューという名の書評欄に、まるで読書感想文に毛が生えたような書評を載せてもらっています。私の目的は、最近、歳をとってきて読んだ本のことも忘れ加減になってきましたので、時々思い出したときに立ち返られるように、また、読んだ本でもっとも印象に残ったこと、教えられたこと、覚えておきたいことなどをあまり長くなく書き留めておけるからです。そのサイトをお借りして覚書を遺そうという魂胆なのです。いろんな方に読んでもらえることもあるでしょうし、そのうちにベスト1000レビュアーなどという称号(?)もつくので、只自分の懐に置いておくのに比べ張り合いもでるというものです。

ところが、自分で一生懸命書き付けているうちは何とも思わなかったのですが、他人さまのレビューを読ませてもらって気がついたこと、オヤッと思ったことがあるのです。とても短いレビューがあること、とても多くのレビューを寄せていらっしゃる方のおられること、クレームを送ることができるらしいということ、等々です。

インターネットでは「2チャンネル」という人気サイトがあって、いろいろ議論を醸していますが、その書き込みのように短いものが時にあります。たとえば、「夕凪の街、桜の国」のカスタマー・レビューに「深いお〜夏読むにはいんじゃね?マジ深いからいんじゃね?」などというのがありました。そのほかにも、2行しかないもの、3行だけとなると結構多いのです。短いのは、必ずしも悪くないのですし、投稿規定には800字以内という制限があって、私も時にそれを上回ることもあるのです。要を得て簡潔に越したことはないでしょう。たしかに、要点をとらえているかも知れません。だから、だらだら書くことの反省を促します。それはそれで非難することではないかも知れません。しかし、これだけじゃ、あまりにも上っ面に過ぎないじゃないか、と思うのです。忙しい時代、長い文章など読んでる暇無いよ、ということでしょうか。でも、ちょっと待ってほしいのです。忙しすぎる世の中もいい加減にしてほしいのです。良い本を使い捨てにしないでほしいし、良い本はそれなりに熟読してこそ、人々の心に、社会の構造として、生きる人間の血肉となって定着するのではないでしょうか。今の、インターネット社会の克服すべき問題点の代表例として私はこの傾向を避けたいと思うのです。

たとえば、ベスト・レビュワーという呼び方がAmazonのカスタマー・レビュー社会にはあって、レビューの数が1000以上にのぼる人が何人もいるのです。何年も続いているのですから、速読の方の中には、驚くほど沢山の本を読む方も現れるのでしょう。しかし、よく見ると、このカスタマー・レビューには、Amazonの扱うDVDやCD、コミックなども含まれるのです。短時間に見ることが出来るのでレビューも多くなり得ます。これらが、現代の文化媒体として多くの支持を得ていることは承知しております。しかし、私は、その中でも、書籍による文化の高揚が歴史の中で定着性が強いと思うのです。それらが現代の文化水準を高めるし、したがって、現代の環境問題も社会の閉塞感も格差社会をも心底から解決する力になるのだと思うのです。で、私は、私の勝手かも知れませんが、書籍のレビューを重視したいのです。私も書籍をレビューの主な対象にしているつもりです。

また、たとえば1週間に5編以上ものレビュー掲載を何週間も続ける兵がいらっしゃるのです。速読も悪くありませんが、それは、そんな能力のある方にお任せということで良いでしょうし、私はそんなに早くお読みになる方のレビューは注目しないでおこうと思います。少なくとも、私のような凡人が真似をしたり数を競ったりするお相手ではなさそうです。

クレームを付ける機能は、比較的最近付加されました。時に、問題のある投稿があることの表れです。これは、インターネット社会のひとつの問題点です。インターネットには、それに相応しいルールや倫理が、利用者にひろく出来上がることが求められるのです。

それやこれやを考えつつ、私は、ベスト・レビュワーとしてはベスト500程度を維持するところに目安を置き励むことにしています。現在、そこを出たり引っ込んだりしています。私にとって、読書は生きることの大切な部分です。書物は未知の世界へ誘ってくれますし、それに対し思索を巡らすことは、賢者との対話ともなり得ます。それは、緑陰の読書の楽しみであり、暖炉辺に至福の時を提供してくれるし、春の長雨のすさびを越す力が大であるし、秋の夜長のかけがえのない友であるのです。これからも、そんななかでの書評=読書「感想文」を書いていこうと思っているのです。

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