庶民の底力が試されるとき

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1970年頃、日本の庶民の生活は、今ほど豊かとは言えなかったでしょうが、今より誇りみたいなものを感じた生活だったのではないでしょうか。そして、その70年代末には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本さえ出されたのでした。70年代、それは、日本人が、夢と希望を持って生きている度合いが、今よりずっと強かったのではないでしょうか。

振り返ってみるに、その時代は、日本が資本主義としての成長期から爛熟期に至る時代であったのです。その後、低成長に移り、行き詰まりの腐爛期に入って行き、日本経済も泡銭を稼ぐ道に迷い込むことになってしまったのです。先進国は、似たような道をたどっていました。結末は、アメリカではリーマンブラザーズの破綻、我が国では少し前の堀江さんや村上さんの蹉跌として典型的に現れたのでした。その時、庶民の中には非正規雇用を代表とする現代の貧困が蔓延していったのでした。

今、世界中で、そうした資本主義の危機を解決しようという動きが展開しています。それは、多分、多くの方が気づいているように、日本を除くという註書きが必要です。その辺りを見てみましょう。

ヨーロッパでは、経済破綻を起こさないための道の探索がはじまっています。グローバルな投機経済を規制する試み、ギリシャやアイスランドのような国家経済の危機を防ぐシステムが真剣に模索され始めました。

アフリカでは、ヨーロッパの軛から離れて、自分たちの資源や人材を活用して自立を求める動きが急です。中南米でもアメリカの裏庭を卒業して自力で自分たちの豊かさを実現しようとして、新たな社会主義経済を模索する国さえ現れています。アジアでも、地域共同体を築きながら成長を進める道を力強く歩き始めています。

アメリカは、リーマンショックを教訓にしつつも、やや苦悶をしているというところでしょうか。

そして、日本は、大企業だけが利潤を蓄える一方で、庶民の間には非正規雇用は減らず全般に閉塞感がただよっています。日本だけ、置いていかれているようにみえませんか。日本が置かれたこのような状況は、大変危険なのかも知れません。つまり、歴史をたどれば、昭和初期に類似した状況ではないか、と思うのです。その当時、日本は、やはり閉塞感に捉えられていて、それを打開する道としてあの戦争への道をたどることになったのでした。今、当時は無かった規模の平和への強い希求が行きわたっていますから、おいそれと二の舞を演じることはないと思いたいのですが、気を許すわけにはゆきません。

核抑止力とか沖縄海兵隊の抑止力を安全保障の主要な力として民衆の安全の上に置こうとする政府が実際に存在するのです。世界が、平和を大切にし、紛争は武力でなく国連の場などをはじめ話し合いで解決しようとする方向に大きく動いているにもかかわらず、沖縄に米軍基地を置き続けることは、危険の種を抱え込むことに他なりません。これには十分気をつける必要があります。今、憲法9条を瞳のように大切にしなければならない所以があるのです。日本の庶民の底力が試されるのではないでしょうか

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