帝国陸軍 最後の初年兵        嶋崎良治 (著)  U-Stage 発行 ISBN 978-4-9903438-0-4 (2006.12.26)

戦争と平和の目次へ

語りつぐそれぞれの戦争、  2007/2/22                                    

昭和20年5月に18歳で招集され4ヶ月の初年兵経験。それは、物理的時間の長さでいえば、もっと長い軍隊経験の人がいるような、決して長いものではありません。しかし、軍隊がどんなところかを経験するには十分な長さでありました。

嶋崎さんは、中学卒業までに9校に10回入学・転入を経験しました。お父さんの仕事の都合だけでなく、お父さんの離婚など、複雑な家庭環境によるものです。お父さんは「満洲ゴロ」といわれる破天荒な方だったそうで、新京、哈爾浜、大連などを、内地を挟んで行き来しておられます。お姉さんが母親がわりに面倒をみてくれることが多かったといいます。

東京恵比寿にあった「海軍技術研究所」に職を得て、空襲が繰り返されるなかで、もの作りを覚えてゆきますが、1年2ヶ月ののち、召集令状が来て甲府の叔父さんの所から出征。山口県徳山の「暁部隊」に入営します。

教練や内務班生活の開始。中学卒には「幹部候補生」としての特別訓練が待っていました。古年兵による虐待が始まります。三・八式歩兵銃に着いた微かなホコリでも理由となるカタパン(鉄拳制裁)。鶯の谷渡り、ミンミン蝉、・・・。連帯責任の「切磋琢磨」

九八式高射機関砲の砲手。徳山の空襲に際しては、迎撃の味方戦闘機などはなく、「B29や爆撃機は効果なし故、戦闘機だけをねらえ」と指示され、そこでは、初の戦友の死を経験します。「殺さねば殺される」「狂気の世界」を実感しました。

蚤・虱の襲撃。空腹との戦い。食事は「僅かばかりの高麗米・薄い味噌汁・フリカケ一袋・タクアン二切れ」をピークにひどいものになってゆきます。手紙はすべて検閲。楽しみを敢えて探せば「食事・睡眠・慰問文、慰問団や演芸会」。慰問団女性歌手のセクシーなダンスにも空腹故にポカンと口を開けているだけ。

日曜外出には「突撃一番」と書かれたコンドームが渡されました。「当時の私は何となく教えられた倫理観からか、女性は犯すべからずと言う観念があり・・・女楼屋で≪膝かけ≫(片膝あげてのあぐら姿)で座っているのを見ると、益々萎縮してしまうのがオチだった」といいます。演芸会では、得意のハーモニカで大喝采を得ましたが、「戦友」を吹いたことに、「なぜ戦意を挫くような歌をやったのか!」と殴られました。

広島県宇品に転属、船舶特攻兵器○レ(ベニヤ板のボート。連絡船のレ)の訓練に赤痢蔓延の中、明け暮れます。自殺者、逃亡兵もでます。公用腕章で逃亡兵捜索に出た先で、荷物を運んであげた小母さんにご馳走になりますが、これも息抜きならぬ捜索。小母さんの「絶対に命を粗末にしては駄目。何が何でも生きて故郷に帰るんだよ」が今でも忘れられない。あの小母さんは、原爆にやられたかも知れません。

赤痢重傷者を広島の陸軍病院に残し、北九州の折尾に転属。陸軍病院は、間もなく原爆を受けます。折尾では、兵器等を格納する横穴掘りで落盤があり、戦友が死亡しましたが、偶然にも助かりました。空襲をうけます。数日後、広島の新型爆弾のことを知ります。陸軍病院から、嶋崎さんが残留と決めた三人のうちのひとりが重傷をうけつつもただひとり帰還・・・。空腹で作業中、意識不明になります。

終戦。虚無的な実感。八月二〇日、原隊復帰。古兵も戦々恐々、威張りくさっていたほど変わり身が激しかったです。九月末、寿司ずめ列車で帰郷途中、広島の惨状を見て驚愕。途中、任務で、落盤死の戦友の遺品を届けたのですが、真相は伝えませんでした、その罪悪感。

甲府の焼け野原に帰還します。叔父、叔母、姉のもとに落ち着きます。そして、今や、戦友たちの氏名も大半思い出せず、「今はただ鎮魂の祈りを捧げる事しか道がない。」と嶋崎さんは書いておられます。そして、追記に曰く「吾われ老人が当時の状況の語り部となることは、人生のバトンリレーであり、きっとささやかな反戦・平和へのメッセージにもなってくれると信じたい」と。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「生活に追われ、あるいは意識的に避けてきた過去の記憶」の蓋を開け、「自分史の一齣・遺言として息子たちへ残さねばと思った」のは、長崎の「原爆資料館を見学したときのショック」がきっかけだったそうです。

最近、「『過去の記憶』の蓋を開け」戦争を語り始めたお年寄りのことを見聞きするようになりました。数年前までは、今のように戦争を語らなければいられない、という状況はなかったようにも思うのです。それが、近年の自衛隊のイラク派遣、靖国問題、憲法9条改正の準備、防衛庁の省への昇格、北朝鮮のミサイル騒動などと、まるで戦前になりつつある動きの中で、実際に戦争を体験した年寄りが、最近生まれて平和の中だけで生活してきた若者に、自分の体験を語り伝えておかずにはいられない、という気持になっておられるようです。

嶋崎さんの体験は、ひとりの帝国軍人の実際の体験です。小説より劇的ではないかもしれませんが、小説などよりリアルです。ましてや、そのような事実から目をふさぎ、あったことをないこととするほうがおもしろい、などともっともらしく言って、戦争したい人の加勢をしている人たちの論説などにくらべ、格段に説得的です。特に近代以降の戦争が、軍人はもとより非戦闘員までをも大量殺人に巻き込むという非人道的、不条理な戦争であることを冷静沈着に見るならば、戦争により儲かる人たち以外は、厭戦にならざるをえません。「ヤーヤー我こそは何の太郎兵衛、云々」と言って、職業軍人が斬り合っていた時代ではないのです。今や、原爆の惨状を思うまでもなく戦争は絶対悪の時代なのです。そういう時代に戦争の体験を語りつぐことは、最近の時勢を見るにつけ、とりわけ大切なことになっています。語りつげる方々が、鬼籍に入りつつあるのですから、嶋崎さんのような決心がほんとうにありがたく思えるのです。


戦争と平和の目次へ
図書館の玄関へ
トップページへ