旅慣れたおばさん

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9月下旬の平日の朝、出勤客が職場に収まって途絶えた頃、私が乗っていた東海道本線下り電車に、たしか金谷か菊川あたりだと思うのだが、小柄なお年寄り女性が乗ってきてベンチシートの、私から見て斜向かいの席に坐った。70歳台中頃くらいか。座席に座るとたすきがけの小型鞄のベロ蓋を開けて、切符か何かを確認しビシッと締めてポンポンと叩きホッと一息ついた。その仕草の決まっていること。つまりこの鞄を常用していて、しょっちゅう、こんなことをしているのだろうと想像した。

いかにも旅慣れた雰囲気が漂っているので、それとなく、上から下まで眺めさせてもらった。たすきがけ鞄の濃い茶色と黒系のシューズ以外は白色系の衣装である。帽子は軽そうでチョット深め。その陰に眼鏡が光っている。背中のリュックはほとんど見えないが、背中に担いだままで座席に座っているからそんなに大きくはなさそう。リュックを担いだ上からさっきのたすきがけのバッグ。ベロ蓋の他にファスナーもあるらしく、いくつかの小部屋に分かれているのだろう。厚めのハンドバックサイズである。最近流行のデジカメも入っているのではないか。たすきの長さは、何度も担いでいるうちに決まったらしく膝の上にちょこんとバッグが収まっている。半袖のシャツは、この日は秋とはいえ日差しが強いのでちょうど良いだろう。少しクリームがかった白系のズボンに黒のウォーキングシューズ。靴はすこし艶のある生地で比較的新しいように見える。見てくれ以上に軽い素材と見た。

無駄がない。身体にフィットしている感じ。何よりも、さあ、これから小さな旅に行こう、という眼鏡越しの目が輝いている。初秋の輝いた日差しにうきうきしている様子が、身体全体に溢れている。失礼ながら想像するに、連れ合いは、数年前にお亡くなりになったのではないか。世間にはよくあることだが、連れあいを亡くして寂しい時期を過ごすが、それを克服すると、重しが取れたように生き生きと、本来の自分を発揮し始める。連れ合いの残してくれた年金は、十分とは言えないが月に一度程度の小さな旅をするには足りる。年に1,2回は泊まりがけの旅に出て、温泉につかることもできる。どんなところを回るのがお好きかは、風情からは読み取りがたいが、簡素な身なりなど全体の雰囲気から想像すると、観光地を回ることもあるけれど、何よりも長い年月に自ずとできあがった田舎の風景を好もしく眺めるのではなかろうか。野菜を採って帰るお婆さんと立ち話なぞするかも知れない。町中では、思いがけない歴史遺構に出会って喜んで眺めるかも知れない。庚申塚の木陰でペットボトルの水を飲むかも知れない。いずれにせよ、ご自分の旅スタイルをお持ちの旅人と拝見した。

電車は、浜松止まりであった。そのまま下車したのか、その先、乗り継いで弁天島、豊橋方面に行ったのか、それは分からない。

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