対談「人間の条件」

「世界」(2007年2月号、「世代を超えて語り継ぎたい戦争文学」)要約
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この書き物は、雑誌記事の要約みたいなもので、エッセイなのかどうか曖昧である。しかし、要約するにも、する人間の考え方が現れるし、そして、そんなことも含めて普通でないとして、「絶學無憂」の部に納めることとした。

雑誌「世界」の2月号が「教育」問題を特集していたので手に取ってみたら「世代を超えて語りつぎたい戦争文学−作家と作品」という対談による連載がこの号から始まっていた。澤地久枝さんと佐高信さんの対談。その第1回が、五味川純平の「人間の条件」である。

最初の問題提起で澤地さんは、述べておられる:教育基本法を変え、防衛庁が省へ昇格し、憲法改変が日程に上る今、国立大学の学生でも例えば大岡昇平を知らないような状況がある、「忘れられ埋没してしまいそうな戦争についての文学者の証言、その作品を読むことから、若い人たちに戦争を直視し、戦争を考える姿勢が生まれることを望む」と。

佐高さんは、述べておられる:山形の農民詩人の『木村迪夫詩集』から「祖母のうた」を引き、その祖母が、「みくにのおんためすすみゆけ」と送り出したふたりの息子が戦争で死んだと知って三日三晩泣き通し、「天子さまのいたずらじゃあー/むごいあそびじゃあー」・・・「うずのわかしゅういまごろは/さいのかわらでこいしつみ」と絶唱するのを思いつつ、この対談から、どこを学ぶべきなのかに光を当てたい、と。

以下、対談からさわり部分を私なりに抽出しておこう:

「忘れられた作家」
澤地:1956年7月〜58年1月に新書で全六部が出て空前の大ベストセラーになった。あの時代の中には、五味川さんの書こうとする動機とすさまじいまでの熱気があった。しかし、その後、高度成長を経て、戦争中に良心的な生き方を貫こうとして傷だらけになり、死んでいった男の物語は忘れられてしまった。五味川さんは、「梶は死ななければならないんだよ。生き残れないんだよ」と言っていた。

「おいたち」
澤地:五味川さんは、大連近くの柳樹屯に1916年3月15日に生れ、大連一中を経て、満鉄奨学金で商大を出て、肉体労働を経験したりして大連に戻る。2・26事件の年に東京外国語学校に入るが治安維持法で捕まり、そこでの経験は後々まで影響を与える。義兄のコネで鞍山製鉄所(後の昭和製鋼所)に就職。どうして軍需工場に入ったんでしょうね?
佐高:五味川作品を読んでいて安心するのは、登場人物がすごく迷うところ。就職にあたっても、気弱く頼んだのかも知れない。

「梶は一%の事実、九九%の理想」
佐高:梶のモデルは?
澤地:三分の一くらいは経済学者の隅谷三喜男さんとされている。隅谷さんは、東大でのエリートなのになるべく底辺にいようとして中国人の家に下宿した。隅谷さんにうかがったら「一%は事実かもしれないが九九%はかくありたいという観念の中でつくったものだ」と。
佐高:作中で中国人が逃げ出してつかまる。一人目が斬られ、二人目が斬られ、三人目の前で梶が止めに出る。あれは、当時の軍隊としてはあり得ないだろう。
澤地:自分はこわくて「やめてくれ」と言い出せなかった、と言ってました。何人かのあとに出て行って、結局憲兵隊送りになり赤紙が来る。しかし、出て行かなかった梶を、映画では有馬稲子扮する楊春蘭は、結婚するはずの相手が殺されたんだから許さない。自分の目の前で罪のない人間が首を切り落とされるのを止められなかった事実から終生逃げられなかった。
佐高:加害者と被害者が入り交じった複雑方程式ですよね。

「文壇に黙殺された『一匹狼』」
佐高:九九%の理想といっても、その持つリアリティを伝えるため、綿密なディテールを描く。すると、どうしても猥雑にならざるを得ない。それをもって隅に追いやられたんじゃないか。
澤地:でも、現実のほうが小説を遙かに上回る。人間のなかには想像を超える陋劣なものがある。
佐高:五味川さんは、闘って闘って最後に絶望したと思う。最後の一〇年は苦しかったろうと思う。

「戦争は経済だからな」
佐高:「経済小説のモデルたち」という仕事で取材にうかがったことがある。「戦争は経済だからな」と聞いてこれで帰っても良いと思った。
澤地:五味川さんは経済は得意分野で、老虎嶺を書いている時にも難しい労務管理のことがやたらと出てくる。とっても数字に強い人だった。日本の抗戦力データなど、パッと言えた。

「日本への『移住』」
澤地:ポンポン船で日本に引揚げてくる。鞍山から帰ってきた妻娘との再会。その後、大連時代に親しくなったヤス恵夫人が帰ってきて、家庭を持つ。どうして男の人の物語って、こう複雑なんだろう。
佐高:そういうのはしゃべりたくないですけれども・・・・・・(笑)
澤地:五味川さんには占領軍の諜報機関がつきまといまともな生業に就けない。共産圏から密入国で帰ってきた要注意人物として。ヤス恵さんが洋裁で家計を支えた。ヤス恵さんが癌でなくなって、大きな家を建て、最後は娘さんに看取られます。
佐高:五味川さんは、いわゆる文学青年的じゃなかった。
澤地:スポーツマンから転向してきた、といったような。

「軍隊で問い続けた『人間の条件』」
澤地:老虎嶺で、インテリのくせにと、古兵などにさんざんリンチをくった。リンチは、日本の軍隊のほとんどにあった。
佐高:中曽根康弘は海軍の短期現役でリンチを受けていない。五味川さんや、丸山眞男、通産次官で最後まで非武装を主張した佐橋滋などは受けた。受けた側はやはり違う、考え方が。
澤地:軍隊は、精神を踏みにじるところがある。作中で、小原というひどい近眼のインテリ兵が、いびられてトイレで銃で自殺する。平常心を保つのは大変なこと。慰安所に行く兵行かぬ兵がいるが、真に愛した人がいる兵は尊厳をつなぎ行かない、何もない人は習慣のようにみんなが行くから行く。
 最前線で壊滅していく、それも説明ができないような愚かな選択の限りを尽くした果てに捨てられた兵隊たちが、無惨に踏みにじられて死んでいったことを、五味川さんは書かずには死ねないと思った。それが五味川さんに「人間の条件」を書かせたと思う。
 もういちど「人間の条件」が読まれていいんじゃないか。
 でも五味川さんには、そうした人間を書くだけでは足りなかった、社会の構造や状況、歴史を書かなければ戦争を書いたことにならない。
佐高:そうして「戦争と人間」につながるわけですね。 

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