たんぼの色

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昨日までの寒の戻りがほとんど引っ込んで、午前10時ともなると、風のない戸外はだいぶ暖かさが広がっている。お百姓も、春の息吹の中で用水路などの見回りを始めたと見えて、広がる水田のあちこちに軽トラックの姿が見える。たしかにそのそばにはお百姓が田圃を見回る姿がある。乾いた粘土質の白っぽい田圃の中に、白っぽい服装のお百姓がたたずんでいるのは、チョット眺めただけでは目にとまらない。色合いに変化がない単調な風景だ。

私が子供の頃、田圃が格好のたこ揚げ場だった頃、冬でも麦の緑が見られたし、春休みが近くなれば菜の花やレンゲが植えられもっと緑が目に付いた。それは今でも色つきで記憶によみがえる。当然、野にはお百姓の姿もしばしば見かけた。それに衣装は、紺やグレーや時には絣模様だった。祖父がリヤカーを引いて田圃に行くのを見送った記憶は、そんな色を伴ってよみがえる。なぜか、リヤカーを引くために肩からななめに伸びた補助ベルトの肩当てが絣だったのをよく覚えている。

春休みにでもなれば、菜の花が咲いて甘い香りが漂い、モンシロチョウを追い回せば甘い香りに包まれた。レンゲの田圃にはミツバチが飛び、寝そべると土の冷たさがまだ残っているのに気がついて思わず尻に手をやれば、ズボンはもうじっとり濡れていたりして、見れば木綿の黒い学校ズボンもその部分だけ一層黒かったりした。

最近、菜の花やレンゲが見直され始めている。それは有機農業が見直され、地球の温暖化防止に菜の花オイルなどが役立つと知られるようになったからということもある。画一化された農業から多様性を示す農業へと新たな変化が始まっているということか。そうなると、冬の田圃の風景も少しは色が多様になってくるかもしれない。

                                              (2004.3.9)

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