ワルシャワ悲歌   林 富子 (著)
                       新紀元社(1941/10/1)


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太平洋戦争が開始せんとする時期に出版された意図はどこに, 2016/02/23

辻邦生『樹の声海の声』のモデルのひとりとなったH夫人、という紹介が、同書の附録冊子に見えたので気になっていたところ、同書下巻に参考文献として本書が出ていました。H夫人とは林夫人のことだ、と思い興味を抱き所在を探したところ、いくつかの公立図書館にあることがわかり、つくば市立図書館に相談し、相互貸借制度により、石川県立図書館からお借りすることができました。

本書は、1935年5月12日に、多くのポーランド国民にとって尊崇の的であったビウスズキー元帥の悲報をラジオが伝えたところから始まります。彼は、1918年のロシア(ソ連)からの独立を指導した実績などにより国民の大きな支持を受けていた反面、その後継者がいない、ということも多くの国民が感じていたのでした。

そのような中、ドイツとの関係が英仏の動向もふくめ、きな臭いものになってきつつありました。以下、防空演習が行われ流言蜚語、ラジオを通じての宣伝などが飛び交い、戦争の雰囲気が募ってゆきます。つまり、その後、第2次世界大戦と呼ばれる戦争への入り口が近づいていたのです。

著者は、ポーランド人を連れ合いに持つ女性で、ポーランド人としての自覚もっている反面、日本大使館にも出入りして、日本人としての特権のようなものも行使します。1939年9月1日、心配されていた空襲が始まります。(戦争になってからの第二部の既述は、友人女性からの聞き書きと手記となっていますが、本人の体験と思って読んでも違和感なく読めます。)飛来する飛行機は、はじめは遠くの工業地帯などを爆撃していたのですが、次第にワルシャワ市内に爆弾や焼夷弾が落とすようになります。高射砲や機関銃による反撃はされますが、空軍の出動はほとんどありません。その内、砲撃による被害も出始め、市内の中心地も破壊されます。主人公は、日本大使館に避難することとなります。外交団はやがて、国外へ退去します。頭の上を砲弾が風を切って飛んで行き、近隣のビルも破壊されます。大使館の建物は、壁が30cmもあって頑丈ですが、危険を避けて、全員、地下室に立て籠もります。飢餓が広がり、市内に、仮埋葬の墓標が増えて行きます。いつ爆弾に吹き飛ばされるやも知れません。

9月27日、首都降伏の知らせが全市に広まりました。獨軍が、市内に現れ、やがて獨軍支配下の行政機関が動き出します。インフラも徐々に回復するとはいえ、物資は不足し物価は上がり生活は困窮します。しかし、ユダヤ人を始め、したたかに商売を始める人たちもいます。外交団が帰館し事務が始まります。著者は、日本帰国を決断し、多くの困難を切り抜けて帰国の手続きを完了させ、11月16日早暁、日本に向け列車に乗りこんだのでした。

戦争下の民衆の様子が詳細に描かれていますが、それを読むと、見聞きしていた日本での空襲の様子を思います。よく似ているのです。指導部の決断の遅さで、国民が多くの犠牲を余儀なくされたのも同じです。

著者は、この後、日本に帰ると太平洋戦争を経験する(帰国船上で開戦を知らされたはずです)わけで、ふたたび空襲の洗礼を受けたのかどうか、分かりませんが、その可能性はあったわけで、もしそうだとしたら、お気の毒なことでした。戦争は、金輪際、おこしてはいけないと思いました。この本が、太平洋戦争が開始せんとする時期に出版された意図はどこにあったのでしょうか。

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