よく隠れし者はよく生きし者

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世間には、目立ちたがり屋がいる。それは、それなりにおもしろかったり宣伝に役立ったり存在価値があるのであるが、私はそのような生き方を好まない。仮に何かユニークなことができたとしても、それが誰の仕業か知られずにおもしろがられたり、驚いたり喜んでいただければ、その方がどんなに好もしく嬉しいか知れない。
 だいたい、ユニークなことなど、そんなにできるものでもないし、ユニークだと思っても、同じ時に同じことを考えている人は必ずいるもので、何もユニークであり得ない。大切なことは、先を読むことにおいてユニークであればこれは意味があるのではないか、と思う。流行を追うのはおもしろおかしいかも知れないけれど、先を読んで、それがあとから正解だったと分かった時ほど、愉快なことはない。しかし、そういう人は、大概、人の世では隠れて生きることになる。つまり、人々がその人の読んでいた未来を後から経験して、そんな昔にあの人はこのことに気がついていたのか、と思った時にはその人はもういない。宮沢賢治などは、そんなタイプの人のひとりだと思う。「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」。
 「よく隠れし者はよく生きし者」という言葉は、オウィディウスという古代ローマの詩人による。参考までに原文を記せば、bene vixit, bene qui latuit. デカルトが座右の銘にしたという。

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