わたしたちに許された特別な時間の終わり   
                       
                        岡田利規著  新潮社 (2007/2/24)

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この「リアル」な日常から何が生まれるのだろう,  2008/5/25

この本が大江健三郎賞を受賞したということでこの本よむ人は少なくないでしょう。私もその一人です。で、言葉の力に期待しておられる大江さんだけあって、高質な文学と評価しておられるようです。

まず、とても大雑把な筋ですが、ふたつの中編小説からなっていて、最初の「三月の5日間」は、2003年、アメリカのイラク空爆が開始された時、六本木のライブハウスで知り合った若い男女が渋谷のラブホテルに行き、テレビを見ないと決めて、ほとんどひたすらセックスに興じ5日間を過ごします。

次の「わたしの場所の複数」の女主人公は、その日、アルバイトを休もうと考えながら、自分の生活についてあれこれ考えながら、アルバイト明けでファーストフード店で眠りほおけている夫へのメールを打ったりして過ごしています。

本の名前「わたしたちに許された特別な時間の終わり」は、読後に考えると、これら2編に描かれたようなリアルな日常、つまりある個別な空間において特別に許された時間も限りがあって、そこから何ごとかが生まれうる、というようなことを思わせます。

この本では、今風な若者言葉が続いていたかと思うと、突然話し手が別の人に変わったりして最初は戸惑いますが、それにはすぐ慣れて話を追っていけるようになります。そういったことをはじめとして、これら小説のテクニックは確かに優れているように感じます。しかし、そういう技法を使って描かれる中身は、特に何かをあからさまに、明示的に主張していません。それでいて、何かを訴えているようには確かに思われます。現代の若者が置かれている特徴ある状況の中で、善し悪しとは別に何とか生きようとしている姿は描かれています。そこから、何を汲み出すかは、読者の読み方如何にかなり依存するのでしょう。そして、それら汲み出されたものを、誰かが集めて眺めるとボーッとしたある固まりになっている、といった種類のものかも知れません。

実際にその固まりがこの本の場合に何なのか。私は未だに分かりません。高橋源太郎氏は「『イラク戦争』について日本語で書かれた、もっとも優れた小説だ。いや、もっと、それ以上のものだ」と言っておられます。しかし、この小説、「三月の5日間」のことでしょうが、イラク戦争がなければ全く違ったシチュエーションになったでしょうが、イラク戦争が、この小説によって何か変わるのか、といえば変わることなく、主人公達や読者、とくに若者たちの生活が何か変わるかも知れない、ということくらいしか見えてきません。精々、イラク戦争を取り入れて描かれた若者小説といったところとみえます。

小説技法としては、確かに高いでしょうし、それに十分堪能する人もいるでしょう。しかし、文学としては未知数でしょう。大江賞には、奨励賞的性格もあるようですので、それで十分なのかも知れません。

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