風に吹かれるアンネット

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あの頃の日が帰ってきました。

多分、昭和34年の梅雨明けの季節だったのではないでしょうか。高校に入って新しい生活が始まってひとしきり、夏休みが近づいていました。つまり、試験が終わったのです。解放された伸びやかさに浸っていた私に、夏の初めの気温を冷まして、適度な湿り気を含んだ風が、開け放たれたガラス障子を少しガタガタいわせて私を包み込んできたのです。

ちょうどその時、ラジオからは女性の朗読が流れていました。

「アンネットは微笑して言った。
『道徳というものは男子がつくったんです。わたし知ってますわ。男というものは結婚しないで、子供の父に生涯身を献げないで、子供を持とうとする女を罰します。そして多くの女性にとっては、それこそ奴隷なんです、・・・・』」

それはロマン・ロランの「魅せられたる魂」のひとこまでした。聞くともなく聞いているうちに、私の知らない女性(もちろん、私が女性を知るところが少ないのは言うまでもありませんでしたが)の姿が語られており、それも、どことなく私の気持ちを引き付けるのです。私は、畳にごろりと寝転んで聞き入っていたのです。

ガラス障子の外には隣接した神社の庭に生えるセンダンの枝が生垣越しに伸びてきてゆらゆら揺れていました。センダンの葉を揺らせる風がラジオの声を耳に運んでくれていました。

私は、その日以来、時間の許す限りその番組を聴こうとしたのですが、それは多分、高校の部活や父親の郷里への旅行など、夏休みの出来事のためだったのではないかと思い出すのですが、中断されてしまったのです。でも、ロマン・ロランの「魅せられたる魂」がしっかりと頭に焼きついたのでした。

それから50年余が経った今、窓から吹き込む当時と同じような風のなかで、私は「魅せられたる魂」を読んでいます。学生時代に、その大作に挑戦したことはあったのですが、如何ほども読まずに挫折していたのでした。今は、心にも行動にも若かりし頃と違った余裕が出てきたからなのでしょうか、少しずつゆっくりと読むことができるようになりました。もし青春のなかでこの小説を読み込んでいたならば、私の人生ももう少し違ったものになっていたかも知れないとも思うのですが、古典に属する文学を読み始めるに遅すぎることはないのだろうと期待しつつ読み進めているのです。

今は、ロマン・ロランの緻密で深い思索から少し気分を転換しようと読書椅子からパソコン椅子に乗り換えていたのですが、簾越しに吹き込む風が薄くなった髪をくすぐりますので、また、読書椅子に戻ろうと思います。

(2012/10/4)                    

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