不自由な安らぎと新発見

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長時間の列車の旅、飛行機の旅などでは、乗り込んでしまえば、することは限られてしまう。席は画一の概して狭い空間なので、姿勢もさほど自由にはならない。普段の生活や仕事のことに比べれば、自由度は著しく制限され、不自由限りない。

しかし、そんな時、こころの安らぎのような気分をしばしば味わう。不自由な安らぎとでもいえよう。そして、普段には考えないことを考えたり、思いがけないことを思いついたりすることさえある。大発見が出来てもおかしくないとさえ思ったりするけれど、残念なことに私は大発見に未だ縁がない。

このような安らぎは、なぜ得られるのか。その姿勢でしかいられないと、自由をあきらめることにより、神経を使うべきところが狭い範囲に限定され、普段ならあれこれに向けないではいられない神経に余裕が出て、その結果が安らぎとして働くのではないか。身体が不自由に置かれた分、神経が自由になったのである。自由になった神経が普段考えないことにうまく向けられれば頭脳も活性化して新たなことを考えつくこともありそうである。

新たな考え、新発見などは、きっと神経に余裕がないと実現不可能なのではないかと思う。大袈裟にいえば、精神の自由が新発見を生むのであろう。そして身体の不自由が、しばしば精神の自由を呼ぶのである。

ちなみに、これを東京から静岡に向かう新幹線の座席で書いた。

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