「日本僑俘遣返之地」記念碑の正確な位置の探索  
 
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遼寧省葫蘆島市にある「日本僑俘遣返之地」記念碑の正確な位置について、「満州談話室」で探索が行われました。皆様のお書きになったことやいろんな情報をもとに、それについての仮説を以下のように考えてみました。

画像Aの「外洋埠頭」と示したところを、今、仮に正解としましょう。以下のようなことが言えそうです。

   画像A

  画像B 流氷の「外洋埠頭」。旗印の所に記念碑があると決定的なのですが・・・

記念碑が、張学良碑のそばである、という話が多いので、GoogleEarthの画面で、そのあたりをくまなく調べたのですが、海に向かって伸びている人工建造物らしいものは一切見つかりませんでした。別のところを探し回って、画像1の「外洋埠頭」と記した建造物を見つけたのです。

鴨緑江さん達ご一行は、張学良碑を出てすぐに半島の東北隅の遣返之地記念碑へ移動しました。その間、6−7kmですから、車中でほんの一服したくらいの時間(10分程)で到着したと思われます。着いた日時は、2006年6月11日16時30分頃。道からすぐの場所ですから(画像Bの左下に斜めに走る道路が見える)、車を降りても大して歩く距離もなくこの碑に到達したと思われます。埠頭があるところは、湾内であれ、外洋であれ、港ですから、この碑も港に面して立っているのです。ところが、港にある、とだけ聞くと、南のあの大きな港湾のどこかにあると思いこむおそれは十分にあります。

ここから埠頭をながめると(写真1、また写真3)、大きくは3つ位の塊に崩壊して並んでいます。碑が建った頃には、こんなに崩れていなかった証拠の写真を見せてもらいました。その先は一面の海、山も港湾施設も見えず、漁網などを知らせる浮子がときどき並んだりしています。右に眼をやると(写真2)半島の先に向かって標高の余り高くない山並みが波打っています。山の上には白い色の建物らしきものも見えます。(この写真ではほとんどみえませんが、もとの写真では見えるのです。また、GoogleEarthの衛星画像で山の上をみると、そこにはそれらしいものが無いように思えます。)

 写真1 現在の「外洋埠頭」(鴨緑江さん)

 写真2 「外洋埠頭」から右手の風景(同上)

ここに着いた時、陽は西方向にだいぶ傾いていて、影は長く伸びていました(写真3)。陽が西にあれば、影は東側です。

 写真3 日本僑俘遣返之地記念碑(同上)

この日の月齢はこの時間ではほぼ15日、大潮でした(http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/moonage.htm)。流氷の衛星写真の撮影日が不明ですが、埠頭はかなり姿を見せていて小潮の干潮時を思わせます。港で、浮き桟橋を使っていることに関し、干満の差が大きい時に便利云々、という記述を頂きました。遼東半島と山東半島に口を絞られた湾内ですから、干満の差が大きいのかも知れません。

あなたのやぎさんのおっしゃるように、この砂浜桟橋から引揚船に乗り込んだ方も、半島南の大きな埠頭から煉瓦倉庫をながめつつ乗り込んだ方もいらした可能性があります。ここに碑を建てたに関しては、南の埠頭は軍港の一部でもありますので、観光客を入れにくく、他方、こちらの場所なら面倒な許可は不要で、道路のそばですし、観光客や日本人ご一行をお連れしやすい、ということになります。

写真1、3の埠頭残骸塊の並びと、GoogleEarthの衛星画像(画像B)の塊の並びは似ています。最近になって、一部がさらに崩れたということはあっても良いことです。でも最大の難点は、GoogleEarthの画像Bに、記念碑らしきものが見当たらないこと。碑が建ったのは2003年11月とのこと。ついでに、半島の山の上の白い大きな建物(写真2、不鮮明でよく見えないが)はいつ建ったのでしょう。それが記念碑と似たり寄ったりの時期にできていて、この画像が、2002年以前の冬のものなら(ちょっと古すぎるかな)合点がいきます。どうなのでしょう?

いずれにせよ、「日本僑俘遣返之地」記念碑は、葫蘆島半島東北隅に東北東に向け伸びている崩壊埠頭の前に立っていて、ここからも引揚げが行われた、という仮説ができそうです。これから現地にお出かけになる方々に、現地でこれを検証していただけると嬉しいです。

なお、写真1〜3は、鴨緑江さんが「満州談話室」にお載せになったものをお借りしました。記して深謝します。


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