地方におけるささやかな「勝ち組」

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盛岡17時39分発の東京行特別急行「はやて」に乗って「ウニめし弁当」を食べ始めると、食べ終わる間もなく「新花巻」を通過する。夕闇の中に胡四王山が山水画のように頭部に霧か雲をともなって走りすぎ、山の合間から北上川方面の平野がのぞいたりする。

新幹線のスピードは、人の動きをずいぶん速くしただけでなく、それゆえに動きやすくなって、動く人の数をもずいぶん増やしたと思う。1960年代以降、東北地方など「地方」からは多くの人々が東京などの都会に流れ出した。それには夜行列車がよく使われた。集団就職や出稼ぎで多くの人々が行き来し、時には行きっぱなしだったかもしれない。

今、東北などに残っている人々は、ある意味では、「勝ち組」であるかもしれない。大都会に出ていった人の中で「勝ち組」になった人は確かにいるけれど、それは少数派だろうと思う。その少数派の中には、けたたましいほどに勝った人もいるだろうけれど、その人数は少ない。都会にささやかな「勝ち組」もいるかもしれないが、地方に残っていた人のなかでささやかな「勝ち組」になった人の割合は、意外に多いのではないか。

地方におけるささやかな「勝ち組」とは、どんな人をいうのか。地方にいて良かった、と思う人は自分が「勝ち組」と呼ばれてそうかもしれないぐらいには思うのではなかろうか。その言葉が気にくわないが、といいつつその気持ちを理解できるのではないだろうか。決して経済的な勝ち組でなくとも、自然が多いことや、故郷を守った満足感や、都会におけるよりも広い地所を持って家を建てたことやらに喜びを認める人を、私は、やはりその言葉を受け入れがたいいやらしさを感じつつも「勝ち組」と呼ぶのである。

そんなことを思いながら、薄墨色に暮れゆく丘や家々の灯火が走り去るのを眺めていたら、線路のそばの植え込みに集まっていたカラスの大群が驚いて飛び上がった。列車は、あっという間に北上駅を通過した。

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