紅葉の季節に

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11月も下旬の今思うに、今年の冬は早めに来たようで、半月ほど前から紅葉がぐっと進んだ。それまでは、温暖化の影響をまともに受けて暖かい日が続いていたのだが、温暖化とは異常気象を伴う平均的高温化であるという言い方に従って、その後は、例年になく早く冬めいてしまった。そのせいか、平場の紅葉も結構見事で、ここ2,3日の穏やかな晴天に、あちらでもこちらでも朝日に、夕日にと輝いている。並木のイチョウの葉が見事な黄色になって、数日前から道路に散り始めた。おだやかな小春の昼日中にも、車が走り抜けると、巻き上がる風に吹かれてイチョウの黄葉はキラキラキラキラと灰色の舗道を踊り回っている。



テレビで、多胡さんというカメラマンが、モーター・パラグライダーで全国の黄葉の名所を鳥のように飛んで見せてくれている。今回(2008年秋)は、吉野山、白川郷、大山、久住連山。これなどを見ると、日本の紅葉は文字どおり文字で表せないほどに美しい。

そんな紅葉の風景を見ていると、落葉して裸になる雑木林や箒のように空に逆立ちするケヤキやイチョウも、そして言わずと知れたカエデやナナカマド、サクラなど、ほとんどの落葉樹が常磐木の緑とのコントラストがあるところなどではとりわけ輝いて、初夏に劣らずこの時期に美しさの頂点にあることを想い知らされる。人間も、青春の希望に満ちた美しい季節を謳歌するとともに、死を迎える前の紅葉の季節に輝くことが出来るはずだ、ということを想うのである。が、近年、そうありずらい時代になってしまっている感を、多くの人々がしておられるに違いない。自然界の紅葉の美を見れば見るほど、人間の輝きが不足しているように感じてしまうのである。

時代がそうなるにあたっては、それなりの理由があると考えられる。金融危機が、先進国のほとんどすべてにおいて、現れ方に多少の違いはあれ一斉に起こっているということから、それらに共通するメカニズムがあって、しばらく前からアメリカでも日本でも欧州でもそして発展途上国でも、人/国/地方間格差や貧困が大問題となっていることとの関連を考えさせられてしまう。もっとも、後期高齢者医療制度なるものは、ほかの国にはないことであろうが。

              

20世紀前半にあった世界恐慌の時代は、それが社会主義国には起こらず資本主義国だけの現象だった故に、資本主義という体制にその原因を認めやすかったが、今は、ソ連・東欧のそれが自己崩壊を起こし、中国も市場経済主義を導入する中で強い影響を受けているので、資本主義と社会主義という比較はしにくい。しかし、世界の識者や多くの凡人も、やはり資本主義そのものに問題在りや、と思っていることは多く目に触れるところである。「蟹工船」や「資本論」が注目される現象は、それそのものである。金融危機と輝くべき時に輝きづらい現象との因果関係の詳細がわかりやすく呈示されるには、いましばらくの時間を要するだろうけれど、私の知識/知恵の範囲では、そこらあたりに本質的問題があることを予想するのである。

私などの関心事は、我が世代全体が、輝く人生の季節を送ることが出来るかどうか、なのだが、舞い行くイチョウの黄葉を追いながら、このような時代にあっても輝く時を何とか手にしてみたいと願う気持がふつふつと起こるのである。


                                     


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